金曜の夕方にオムドゥルマンの墓地でスーフィーの礼拝があるので、それまで何処か他の町へ行こうと思った。スーダンで他に行きたい場所はカッサラとベグラウィヤ、ヌーバマウンテンだったが、ベグラウィヤはカリマで見たのと同じようなピラミッドだし、ヌーバは国境扮装で「爆弾の雨が降っている」とNY Timesで揶揄されていたのでカッサラに行くことにした。
7時にバスがあるというので6時に宿を出たが、バスターミナルへのミニバスがまったく来なくて、結局8:30のバスになってしまった。
ロンプラに6時間と書いてあったバスは8時間半かかり、カッサラに着いたのは夕方5時だった。今回もそうだが、夜間のバスが禁止されているスーダンでは移動に1日を費やすことが多い。これから宿を探して、さらに予定していたタカ山に登るのは明らかに無理っぽかった。
バスは町から離れたターミナルに着き、そこからミニバスで町の中心の市場に着いた。とりあえず歩いて宿を探す。人に聞くとホテルを紹介され、ホテルでロカンダ(安宿)を聞くと1軒の安宿に着いた。そこは40ポンドと安くないので、さらに安い宿を教えてもらう。すると市場からは少し離れた、いかにもというロカンダにたどり着いた。値段は1泊20ポンド。いい感じだ。
岩山近くのモスクを目指すことにして、宿の男にカトミヤ・モスクと聞くと通りまで一緒に来て、バスに乗せてくれた。カトミヤ・カディーマと言えと言われたので、バスの中の乗客に連呼すると周りの乗客全てが「このバスではない!」と言い切った。しばらく行ったことで降ろされて、他のバスに乗せてくれた。なんかみんな協力的だ。バスの終点で乗客に「アッチだ」と言われて、その方向へ進む。何やらゲートがあって、入ると岩山のすぐ下の公園のような場所でカフェや露店がたくさんあった。どうやらカトミヤ・カディーマはモスクでは無かったようだ。夕日を見に来たローカルがたくさんいて、飲み物を飲んでいる。まーいいかと座って一緒に夕日を眺めた。登ろうと思っていたタカ山はすぐ裏だ。
日没後、モスクを見に行こうと思って、違う道から降りると民家の隙間に出て、細い迷路のような路地に出た。奥へ進むと何やら音楽が聞こえてきた。それはある家から聞こえてきているようで、扉が開いていたので近付くと中の子供達がワーっと飛び出てきた。中を覗くと庭で女の子達がポリタンクをドラムがわりに手を叩きながら歌っていた。こちらに気がつくと皆すごい勢いで出てきて、さらに近所の子供も集まってきた。これは収拾がつかないと思い、モスクへ向かおうとすると、女の子が隣の家に来いと腕を引いた。中に入るとまた女の人と子供がたくさんいて、庭の奥のベッドに「座れ座れ!」と座らされた。すると一人の男が出てきて「自分はハサンだ」と名乗った。
7時にバスがあるというので6時に宿を出たが、バスターミナルへのミニバスがまったく来なくて、結局8:30のバスになってしまった。
ロンプラに6時間と書いてあったバスは8時間半かかり、カッサラに着いたのは夕方5時だった。今回もそうだが、夜間のバスが禁止されているスーダンでは移動に1日を費やすことが多い。これから宿を探して、さらに予定していたタカ山に登るのは明らかに無理っぽかった。
バスは町から離れたターミナルに着き、そこからミニバスで町の中心の市場に着いた。とりあえず歩いて宿を探す。人に聞くとホテルを紹介され、ホテルでロカンダ(安宿)を聞くと1軒の安宿に着いた。そこは40ポンドと安くないので、さらに安い宿を教えてもらう。すると市場からは少し離れた、いかにもというロカンダにたどり着いた。値段は1泊20ポンド。いい感じだ。
岩山近くのモスクを目指すことにして、宿の男にカトミヤ・モスクと聞くと通りまで一緒に来て、バスに乗せてくれた。カトミヤ・カディーマと言えと言われたので、バスの中の乗客に連呼すると周りの乗客全てが「このバスではない!」と言い切った。しばらく行ったことで降ろされて、他のバスに乗せてくれた。なんかみんな協力的だ。バスの終点で乗客に「アッチだ」と言われて、その方向へ進む。何やらゲートがあって、入ると岩山のすぐ下の公園のような場所でカフェや露店がたくさんあった。どうやらカトミヤ・カディーマはモスクでは無かったようだ。夕日を見に来たローカルがたくさんいて、飲み物を飲んでいる。まーいいかと座って一緒に夕日を眺めた。登ろうと思っていたタカ山はすぐ裏だ。
日没後、モスクを見に行こうと思って、違う道から降りると民家の隙間に出て、細い迷路のような路地に出た。奥へ進むと何やら音楽が聞こえてきた。それはある家から聞こえてきているようで、扉が開いていたので近付くと中の子供達がワーっと飛び出てきた。中を覗くと庭で女の子達がポリタンクをドラムがわりに手を叩きながら歌っていた。こちらに気がつくと皆すごい勢いで出てきて、さらに近所の子供も集まってきた。これは収拾がつかないと思い、モスクへ向かおうとすると、女の子が隣の家に来いと腕を引いた。中に入るとまた女の人と子供がたくさんいて、庭の奥のベッドに「座れ座れ!」と座らされた。すると一人の男が出てきて「自分はハサンだ」と名乗った。
彼は冷たい水を出してくれ、英語で話しかけてきた。JICAの研修を北海道の帯広大学で受けたと言い、今はカッサラの政府の農業技術支援の部署で働いているという。彼と彼の兄弟の子供とお母さん、姉妹が周りを囲み、興味の眼差しで見つめられる。
ハサンさんは日本人の来訪を喜んでくれ、しばらく話をした。「明日また来なさい」と言いハサンさんはバス乗送り場まで見送りに来てくれた。親切な人に出会えたなーとカッサラの滞在が楽しみになった。
カッサラに戻り、夕飯にフールを食べ、マンゴージュースを飲んだ。市場は夜まで賑やかで人で溢れていた。通りには座ってコーヒーやお茶を飲むひとが無数にいる。カッサラはどこかワクワクする町だ。