2016/MAY/19 「国境の川」

国境近くの町、ムトワラへのバスは朝の六時に出発した。朝が早かったが、前日バスターミナル近くの安宿に泊まったのでそれほど苦ではなかった。この宿はダルエスで見た中では断トツに安かったが、断トツに汚かった。それでもシングル1泊8000シリング(400)というのは見たことがなかった。

六時間くらいで着くと聞いていたムトワラに着いたのは夕方三時半で、今から国境へ向かうには遅すぎる気がした。トゥクトゥクの客引きが集まってきて、ひっきりなしに「国境か?まだまにあうぞ!」と勧誘してくるが、国境行きのミニバスの運ちゃんは「明日の朝5時発だ」と全否定だった。彼らがタンザニアで見る最後のウソつきタンザニア人だろう。運ちゃんは近くの宿を教えてくれて、明日の朝5時に迎えに行くと言って帰っていった。宿まで案内してれ、明日の朝もピックアップしてくれるとは親切なドライバーだ。ムトワラはバスターミナルが町の中心のようで、他には何も無い小さな町だった。

翌朝まだ、ベッドから起きる前に部屋の窓がコンコンと叩かれる音がした。なんだ?と思って、窓を開けると昨日の運ちゃんが立っていて、「今から車で迎えに行くぞ」と言った。なぜ車で来る前に徒歩で来たのか不明だが、変わったモーニングコールだった。

国境へのミニバスは珍しくハイエースではないワンボックスの日本車だった。未舗装の凸凹道をガンガン進むが、そんな道を走る為に設計された車ではないはずだ。そういえば、モンゴルでも大草原の中をプリウスがたくさん走っていた。これでは流石の日本車も直ぐに壊れてしまうことだろう。

道中、イミグレに寄ってスタンプを貰い、更に走って川岸に着いた。車はここまでのようだ。客引きの男が先導して、みんな小舟に乗り始めた。先導の男はなぜかTシャツの上からブラをした日本なら既に逮捕されていそうなやつだったが、仕事はキッチリとこなした。

かなりの幅の川で、中洲で降りて歩き、また別の船にのり、また歩き、三度目の船でようやく対岸に着いた。砂地を二キロくらい歩かされるが、今までにない変わった国境で面白かった。

そこからは、乗り合いのバンでモシンボアへ。なんとか暗くなる前に着いて、Mapsmeに表示された適当な宿に連れていってもらった。
キレイではないが、一部屋300メティカル(600)と安かった。町には飯を食べれる食堂も一軒しかなく、メニューも魚のスープと白米飲みだった。小さな商店がいくつかあり、飲み物は買えたが、食料はビスケットくらいしか置いてなかった。タンザニアに比べると物資が少ないし、食べ物も随分粗末に感じた。

ツーリズムが発展してないようで、ツーリスト用のレストランやホテルは無さそうだ。何より英語が全く通じないので驚いた。ポルトガルの旧植民地なので、話すならポルトガル語だ。ここで役だったのが、7年前に南米を旅したの時に学んだスペイン語で、何とか旅する程度の会話は通じた。自分でも何とかなるものだなーと驚いた。明日はイボ島を目指して、また早朝から移動だ。













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