2015/AUG/23 「トクトイ」

朝お金を払いに行くとアンディが再プッシュしたらしく、ツアーの値段が一日56ドルになっていた。部屋代とツアー代をオーナーに払い、荷物をロシア製のバンに詰め込んだ。ドライバーはアンディ、パトリックが前回ツアーで一緒だったトクサで、ガイドは結局日本語のできるバイサだった。オーナーは「バイサは英語が苦手だから日本語を英訳してあげてね」と言った。別に日本語のできるガイドを頼んだわけではなかったのでなんで?と思ったが、まーいいかと了承した。

ロシア製のバンの中は広くて6人なら快適に思えた。ウランバートルを出る前にスーパーにより、ビールとウォッカ、スナックを仕入れた。ドイツ人は迷わず2.5Lのビールを6本買った。こんなに飲むのかと思ったが2日目にはまた酒を調達する事になった。

そのあとずっと走り続け、何もない草原の真ん中で車を停めて昼飯を食べた。バイサは車の後ろで手際よくマトンと野菜の入ったペンネを調理した。ただ、何にもない草原には隠れる場所もなく、リサはトイレ探しに遠くまで遠征が必要だった。

昼食後、4,5時間進んで岩山で止まった。ここは本日の見所のようだ。コミュニストから逃れた僧侶が身を隠した洞窟があり、その周りは荒々しい岩山が広がっていた。そこからしばらく行ったとこでゲルが4棟建っていて、そこが今夜の宿だった。まず家族のゲルに入り、ミルクティーとヨーグルトが振る舞われ、それから寝るためのゲルに通された。真ん中にテーブルがあり、外周に沿ってベッドが4つあった。なかなか快適そうだ。


バイサが夕飯の準備をしてる間に周りを散策し、夕方、家族が羊を追っているのを眺めた。そして、生ぬるいビールとウォッカを飲み始めた。アンディは宿からショットグラスを持ってきていて、何度も乾杯をした。日本語で乾杯をして、そのあとドイツ語で「プロースト」と言って杯を開け、モンゴル語で「トクトイ」と言ってまた杯を開けた。トクトイはモンゴル滞在中に覚えた数少ないモンゴル語になった。




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