2015/AUG/28 「いとしのウランバートル」

朝起きるとまだみんな寝てるようで、バイサのイビキ以外は何も聞こえなかった。
朝日が低い角度から町を照らしているので、すこし歩きに外へでた。朝日を浴びた町はドラマチックで何の魅力もないこの町を綺麗に見せた。

戻るとアンディ以外はみんな起きていて、1階で朝食を食べた。

バイサはトクサの娘二人もウランバートルに戻るから一緒に乗っていっていいか?と尋ねた。誰も反対しなかった。遊牧民は夏、人手がいるので学校の夏休みは3ヶ月とながい。その間子供たちは実家のゲルに帰り、家族の手伝いをするのだ。

いよいよウランバートルへ帰る日だ。あのウランバートルへ帰るのがこんなに待ち遠しくなるとは考えもしなかった。娘二人含め全員が乗り込みトクサはバンを走らせ始めた。

道は相変わらず悪路で草原の轍のない草の上を走ることが多かった。ただ、アンディの携帯のGPSによると四キロほど右に行けば、ウランバートルまで続く舗装された道が平行に走っていた。なぜずっとこの草むらを走るのかはトクサ以外は理解できなかったが誰も文句を言わなかった。

途中最後のストップで大きな岩山で止まった。そこは聖なる山として崇められているようだった。とりあえず登ってみたが、途中からあまりの急斜面で引き返してきた。この山は見た目ほど平和な山ではなかった。トクサはその間車の点検をして、タイヤのシャーシをとめているボルトが2本残して全て切れているのを見つけた。なんとかワイヤーで縛り上げて、出発する事ができたが、走行中に外れなくて本当に良かったと思った。

ウランバートルの郊外に差し掛かったのは、夕方前だった。遠くから見るウランバートルは灰色の雲に覆われていかにも空気が悪いように見えた。後で知ったがウランバートルは冬、北京の2倍空気が悪くなるらしい。恐ろしい町だ。

車は懐かしいピース大通りを進み、ノミンデパートの前を過ぎた。帰って来たなーと感無量になった。宿に戻るとまた前使っていたベッドに戻れた。アンディとパトリックも元いたベッドにもどり、リサはみんなと同じ部屋に移ってきた。みんな6日間も一緒だったので、だいぶ仲良くなり、だいぶ仲悪くなった。ツアーはあまり好きではないが、たまには悪くないなと思った。



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