2015/NOV/26 「本田ノート」

昨夜はかなり早く寝たので5時には目が覚めて寝袋のなかでもごもごしていた。たいして眠くも無かったので起きて扉を開けると外はうす明るくなっていた。ウロコ雲が地平線から伸びて空を覆い朝日を浴びて美しい赤いグラデーションをつくっている。太陽は岩山の裏から昇って来るのでまだ見えない。

同室のシオリンと綾ちゃんは話しかけても反応が無いので一人で裏の山にのぼりはじめた。頂上にはすでに5人ほどツーリストが昇ってくる太陽を待っていた。まわりの岩山や砂は朝日でオレンジ色を帯びている。砂漠の朝だ。

岩山から降りて部屋に戻ると二人はまだ寝ていたので無理矢理起こした。何のために高いお金を払ってここまで来たのだろうか。

昨夜夕飯を食べたテントでシンプルな朝食を食べて荷物を纏めて、ジープに乗り込んだ。ジープは颯爽に砂漠の道をラム村へ向かってはしる。途中ロバにまたがり、山羊を追う羊飼いが見えた。朝日を浴びたワディ ラムは昨日より美しく見えた。

ツアー会社のオフィスに戻るとタクシーがすでに待っていた。砂漠に持っていった物をバックパックに戻して、詰め直した。ニュージーランド人のロビンとメキシコ人の彼女に別れを告げてタクシーに乗り込んだ。彼は12月から3月まで野沢温泉のスキーリゾートで働くと話していた。野沢温泉スキー場には行ったことがなかったので、帰国したら行ってみようかなと思った。

タクシーは軽快に飛ばしアカバには1時間で到着した。ワディラムよりはるかに暑く、久しぶりに温暖な場所にきたなーと感じた。リゾートらしく海岸沿いにはヤシの木の生える道路が通っている。エジプト行きの船は夜の11時頃に出るのでアカバには泊まらずに今夜の船に乗ろうと考えていた。オデッサであった本田さんがメッセンジャーでイスラエルからエジプトまでの国境事情や船チケットやタクシーの値段、チケットオフィスの場所を送ってくれていて大いに助けられた。敬意を評してみんなで`本田ノート'と呼んでいた。

チケットオフィスに行くと本田ノートのとおりチケットは54ディナールで、夜8時にターミナルへ行くように言われた。

市場を歩いて、果物を物色するとワディ ムーサよりはるかに物価が安いことに気がついた。ワディ ムーサでは全ての金額が0.5ディナール単位でそれより細かな数字は無かったが、ここでは0.1単位でより細かい金額設定だ。1ディナールした缶ジュースは0.25ディナールで、6ディナールした缶ビールは1.5ディナールだ。さらにこの町はTax freeなので煙草、酒は何処で買っても安い。3人は目を輝かせた。ホントにペトラは馬鹿げた物価だったんだなーと驚いた。

とりあえずビールとプラムを買い3人で公園で乾杯。イスラエル以降物価が高く、飲めなかった久しぶりのビールはすこぶる旨かった。かなり時間があったのでビーチへ行ったり、史跡を見に行ったり本田ノートにあったWifiのあるマックにいって過ごした。物価が安くなったのでみんなで話して、ヨルダン最後のディナーはレストランで食べようということになった。ただし、残りの現金が3人で12ディナールしかなく、慎重なメニュー選びとディスカウントが必要だった。

夜の8時にチケットオフィスに置いた荷物をピックアップして、タクシーを拾って港へ向かった。本田ノートどおり値切ると4ディナールになった。フェリーターミナルの入り口はすごい大きな荷物をもった大勢のエジプト人が入り口に雪崩れ込んで詰まっていた。中に入れない大勢のエジプト人達は押合いへし合いして荒れ狂う海のようだ。だが、外国人と分かると警備の人がエジプト人の人だかりを一喝した。すると人だかりの真ん中に辛うじて歩けるだけの隙間が出来上がった。それはまるでモーゼが海を割ったような光景だった。モーゼは出エジプトで紅海を割ってイスラエル人を導いた。ここはまさにモーゼが渡った海だ。3人でその道を通って中に入った。出発まであと3時間、明日にはいよいよアフリカ大陸だ。











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