昨夜、夕飯の途中で日本人の男の子が帰ってきた。彼はヨシ君といい、エジプトからヨルダン、イスラエルと廻ってきたという。ここには2日前から泊まっているらしい。さらに夜にアンマンから到着した日本人の男の子がやって来た。こっちの子はまだ学生でかなり若く見えた。
朝起きてダイニングに降りるとユダヤ人の老夫婦が朝食を食べていた。キッチンで昨日の夕食の残りを鍋で温めて食べることにした。彼らは観光ではなく、ワークショップに来ているといい、今日もパレスチナの学校でワークショップがあるという。暫くするとヨシ君が起きてきた。彼はキッチンの使い方(何でも食べてよい)を教えてくれた。彼が来たときにはイブラヒムは居なかったので自分で夕飯も適当に作ったそうだ。
エルサレム旧市街を歩きに行こうとするとヨシ君も来ると言うので一緒に行くことにした。エルサレムの旧市街は壁で囲まれていて、幾つかの門からしか入れない。なかはユダヤ人、アラブ人、キリスト教徒、アルメニア正教の4つの地区に別れている。中にはユダヤの神殿跡に建てられた岩のドームモスクやキリストの墓のある聖母教会など聖地が至るところにある。中でもキリストが十字架を背負って最後に歩いた道ヴィア デ ローサには世界中からのキリスト教徒が巡礼にやって来る。
人通り壁の中の見所をまわり、アルメニア地区の外の最後の晩餐の部屋を見に行った。ここは本当に聖書の中の出来事の現場だらけだ。それからヨシ君が昨日2日前に行ったという新市街の近くの超正統派の人がたくさん住むエリアに行くことにした。そこはエルサレムの中でも超正統派の人達の人口密度か高いと言うか、歩いている人はほぼ全て超正統派だった。すこし進むとスクランブル交差点があり、信号が青に変わると四角から一斉に超正統派の人が歩き始めた。まるでエルサレムの渋谷だ。目の前の光景に見入ってしまい3回も青を見逃していた。
さらにそのエリアを歩いているとヨシ君がユダヤ人以外は入れないエリアがあると言った。その周辺も独りでは心細かったらしく前回は行かなかったらしい。とりあえず行ってみようとその方向へいくと、シナゴークがあった。そこには大勢の超正統派の人が集まっていた。暫く眺めていると超正統派の人達は話しかけてきた。しかもめちゃくちゃフレンドリーだ。写真も撮れ撮れーとポーズもとった。だいぶ見た目とギャップがあり驚いたが、彼らもユダヤ教の勉強に勤勉なだけで至って普通の人達なのだろう。
その近くにヨシ君が見たという立ち入り禁止の看板が細い路地の入り口の上にあった。だがよく見ると'このエリアは聖なる場所なので正しい服装を着用し、写真も控えましょう`と書いてあるだけだった。ヨシ君に入れるよと伝えてその中に入った。中は団地のような建物と学校、商店があり町のようになっているだけだった。
夕方にまた嘆きの壁に戻ってみた。寒いせいか思ったより人はいなかったが、隣接するライブラリーのような部屋には超正統派のひとが溢れていた。彼らは政府からお金が出て仕事もしなくてよく、兵役もない。これだけの人達を税金で支えるのはさぞかし大変なことだろう。
朝起きてダイニングに降りるとユダヤ人の老夫婦が朝食を食べていた。キッチンで昨日の夕食の残りを鍋で温めて食べることにした。彼らは観光ではなく、ワークショップに来ているといい、今日もパレスチナの学校でワークショップがあるという。暫くするとヨシ君が起きてきた。彼はキッチンの使い方(何でも食べてよい)を教えてくれた。彼が来たときにはイブラヒムは居なかったので自分で夕飯も適当に作ったそうだ。
エルサレム旧市街を歩きに行こうとするとヨシ君も来ると言うので一緒に行くことにした。エルサレムの旧市街は壁で囲まれていて、幾つかの門からしか入れない。なかはユダヤ人、アラブ人、キリスト教徒、アルメニア正教の4つの地区に別れている。中にはユダヤの神殿跡に建てられた岩のドームモスクやキリストの墓のある聖母教会など聖地が至るところにある。中でもキリストが十字架を背負って最後に歩いた道ヴィア デ ローサには世界中からのキリスト教徒が巡礼にやって来る。
人通り壁の中の見所をまわり、アルメニア地区の外の最後の晩餐の部屋を見に行った。ここは本当に聖書の中の出来事の現場だらけだ。それからヨシ君が昨日2日前に行ったという新市街の近くの超正統派の人がたくさん住むエリアに行くことにした。そこはエルサレムの中でも超正統派の人達の人口密度か高いと言うか、歩いている人はほぼ全て超正統派だった。すこし進むとスクランブル交差点があり、信号が青に変わると四角から一斉に超正統派の人が歩き始めた。まるでエルサレムの渋谷だ。目の前の光景に見入ってしまい3回も青を見逃していた。
さらにそのエリアを歩いているとヨシ君がユダヤ人以外は入れないエリアがあると言った。その周辺も独りでは心細かったらしく前回は行かなかったらしい。とりあえず行ってみようとその方向へいくと、シナゴークがあった。そこには大勢の超正統派の人が集まっていた。暫く眺めていると超正統派の人達は話しかけてきた。しかもめちゃくちゃフレンドリーだ。写真も撮れ撮れーとポーズもとった。だいぶ見た目とギャップがあり驚いたが、彼らもユダヤ教の勉強に勤勉なだけで至って普通の人達なのだろう。
その近くにヨシ君が見たという立ち入り禁止の看板が細い路地の入り口の上にあった。だがよく見ると'このエリアは聖なる場所なので正しい服装を着用し、写真も控えましょう`と書いてあるだけだった。ヨシ君に入れるよと伝えてその中に入った。中は団地のような建物と学校、商店があり町のようになっているだけだった。
夕方にまた嘆きの壁に戻ってみた。寒いせいか思ったより人はいなかったが、隣接するライブラリーのような部屋には超正統派のひとが溢れていた。彼らは政府からお金が出て仕事もしなくてよく、兵役もない。これだけの人達を税金で支えるのはさぞかし大変なことだろう。
夜、宿に戻ると日本人がもう2人やってきた。女の子2人旅のようで旧市街の中の宿から移ってきたという。イブラヒムハウスはかなりの大所帯になった。ジーさんは女の子の到来で急に張り切り始め、その夜は遅くまで家に帰らなかった。