2015/NOV/13 「ハイファとアッコ」

ハイファの町は温暖でなかなか雰囲気のよい町だ。古い建物が残されたGerman Colonyの目抜き通りには欧米人の旅行者もわりと見かける。町の斜面にはバハーイ教の聖地の庭があり、世界遺産にもなっていた。

朝から町を歩き、アラブ人地区を歩いてピザを買って朝食にした。スークのような通りを歩いて、方向は気にせずに進んでみた。なかなか生活感のあるエリアで面白かった。少し登ったところでパン屋があり、そこでエスプレッソを飲んで休んだ。パン屋にバハーイガーデンの行き方を聞くとケーブルカーで丘の上まで行けといわれた。イスラエルはケーブルカーも安くはないが、みんな歩いては無理と言うので乗って一番上まで行くことにした。

駅を出て歩くとすぐに海が見えた。海岸沿いに広がるハイファの街が見渡せた。そのまま景色を見ながら進むとバハーイガーデンの入り口に着いた。抜群の青空と風が本当に気持ちよい。沢山観光客がいて上から庭の写真を撮っている。しかしエントランスに行くと今日はバハーイの祝日で開いてなかった。ガッカリしたが庭は上から眺められるのでまーいいかと気を取り直して、ダウンタウンまで下った。途中からバスに乗りビーチの近くで降りた。海岸沿いには魚釣りをする人や海を眺める人が沢山いた。海は予想以上にきれいで水も透き通っていた。海の彼方にはタンカーが浮いている。

パブリックビーチだと思った場所はウインドサーフィン専用で入れなかった。時間はまだ昼だったので宿のスタッフが勧めていたアッカの町に行ってみることにした。駅まで歩いて、そこから電車でアッコへ向かう。駅も電車の中も兵隊だらけだ。彼らは移動中で任務中ではないが、軍服姿でライフルを携帯しているのでどうも落ち着かない。イスラエル人は大抵大学へ行く前に兵役に行くのでみんな18,19歳だ。テロリストがいたら彼らが撃ち殺すのだろうか。10代の若者には酷な話だ。

となりの椅子に座っていたイスラエル人が急に話してきた。アッコに行くと言うと着いたら教えてくれるといった。彼はウクライナ人でイスラエルに移住して2年だといった。最初の6ヶ月はヘブライ語の学校に行き、テストを受けてユダヤ人の認定を受けたという。今は大学に通っているらしい。ウクライナ育ちなのでロシア語、ウクライナ語をはなし、今話してる英語を含めると4ヶ国語だ。ヘブライ語は簡単だよと流暢な英語ではなす。2重国籍かと聞くとウクライナ国籍は捨てたといった。イスラエルに移住を決めたからもう不要だと言い切った。

アッコの旧市街は迷路のような路地が入り組み何度も迷った。スークにはおおくの人が買い物をしていて活気がある。観光地でもある旧市街の中で暮らす人たちの生活感がいたるところから感じられて、とてもいい場所だなーと思った。複雑に入り組んだ街路のなかにはハマムや十字軍のつくったトンネル、城などの史跡が点在していて、数日この旧市街に泊るのも悪くない気がした。ただ、イスラエルはそんなに長く居ようとは考えてなかったので今日中にテルアビブまで行くことにした。


夕方前にハイファに戻ろうと駅に行くと閉まっていた。シャバットだといわれた。ユダヤの休日だ。金曜の日没から土曜の日没まで交通機関は閉まってしまうと聞いていたが、こんなに早く閉まるとは思ってなかった。周りの人に聞くとハイファまでのバスはまだあるようでバスターミナルへ歩いた。しばらくするとバスが来てハイファまで戻ることができた。宿で荷物をピックアップして、シャバットのときでも運行しているシェルート乗り場の場所を教えてもらった。宿のスタッフ含め町であった人たちは皆親切だった。物価は高いがイスラエルは旅しやすい国だとおもった。








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