2015/NOV/20 「パレスチナ自治区」

昨夜メールを確認するとカメラ屋からレンズの修理が終わったとメールが来ていた。金額は1050シュケルと日本で直すのと変わらない値段だ。

9時前に宿をでて、カメラ屋に行きレンズを受け取った。また壊れないようにカメラのバッグを新調することにした。折角なのでしっかりしたバッグを買った。修理代と合わせて4万円。かなりの出費だ。

カメラ屋からまた旧市街のダマスカス門に戻り、そこからへブロンに行くことにした。カメラ屋で時間がかかったので少し遅くなったが、今日はパレスチナ自治区のへブロンとベツレヘムをまわることにした。

まず、バスでベツレヘムまで行きそこからへブロン行きの乗り合いバンに乗った。バンを探しているときに「今日はへブロンに行くな。危険だ」と何人かが話しかけてきたが乗り合いバンの客引きが「乗れ乗れ」というので乗り込んだ。乗り合いバンはすぐに出発して、へブロンに向かって南下していく。だが、街道からへブロンに行く道がイスラエル軍に封鎖されている。別の道に行くとまた封鎖されている。乗客は携帯で電話して、運ちゃんにアッチだコッチだと指示を出して、へブロンに行く道を探す。

しばらくして、コンクリートの腰壁で封鎖されている道の端をすり抜けて、へブロンに入っていった。「何処に行くんだ?」と運ちゃんに聞かれて、イブラハム モスクと答えるとモスクへの参道のような商店街の入り口で降ろしてくれた。町のお店のシャッターは全て降りていて、人もほとんど歩いていない。道路にはゴミが散乱していた。パレスチナ自治区はユダヤ教の休日シャバットも関係ないと聞いていたが、エルサレムよりも開いている店がない。パレスチナ人に聞いてみると「悪いイスラエル軍が来て、店を全て閉めさせた」と言った。よく分からないがイブラハム モスクを目指すことにした。

参道は全てシャッターが閉まっていて、かなり異様な雰囲気だ。しばらく行くと細い路地になり、道のすぐ上に金網が張られていた。金網の上にはイスラエル人が嫌がらせで投げた石やゴミがのっかっている。会うパレスチナ人は例外なく「ウェルカム」と言うので始めはとてもフレンドリーな人達だと思ったが、こっちの顔も見ずにウェルカムといって去っていく子供もいて、違和感を感じはじめた。この町はイスラエルの入植地が点在し、パレスチナ人とイスラエル人の衝突が起きている最前線だが、パレスチナ情勢に興味がある旅行者やジャーナリストが来る。パレスチナ人は旅行者にフレンドリーにすることでパレスチナ人はいい人だと宣伝をしているのかも知れないと思えた。

イブラハム モスクはイスラエル管轄エリアにありセキュリティチェックを通る必要があった。警備の軍人に話を聞くと昨日テルアビブとへブロンの北でパレスチナ人によるユダヤ人襲撃があり5人殺されたと教えてくれた。そのなかには巻き込まれたアメリカ人旅行者もいたそうだ。へブロンの町の店が全て閉まっているのも外出してる人が殆ど居ないのも襲撃を受けて、イスラエルがこの町を外出禁止にしたからだった。

モスクは金曜なのでムスリム以外は入れなかったので隣のシナゴークに行った。この二つは同じ場所に建っていて、そこにはイブラハムの墓があるといわれている。中ではユダヤ人が熱心に祈りを捧げていた。出るとまた同じ道を戻ってバス乗り場に着いた。バスにはイブラヒムハウスにいたシオリン、綾ちゃん、大学生が出発を待っていた。

バスはまもなく出発して1時間弱でベツレヘムに着いた。ここにはキリストの生まれた場所に建てられた教会があり、たくさんのツーリストがいた。へブロンに比べると明らかに平和な雰囲気だ。教会内のキリストが生まれた場所は巡礼ツアー客でごった返していて、入るのに一時間くらいかかった。巡礼ツアー客は祭壇に額を擦り付けて祈るので列はなかなか進まなかった。感極まって泣き崩れるひともいた。

ベツレヘムにはバンクシーの有名なグラフィティが幾つかある。既に夕方だったが、近いものから見に行くことにした。教会からさらに東へ進み坂道を下り、また東へ。途中でパレスチナ人の若者が「バンクシーか?」と聞いてきて、案内してくれた。そのグラフィティはガソリンスタンドの裏の壁にあり、思っていたよりはるかに大きかった。もう暗くなってしまったので、タクシーでバス乗り場へ戻ろうと思ったが、どうせタクるなら少し北にあるもう二つの絵も見に行くことにした。タクシーの運ちゃんにバンクシーの絵までと行ったが、運ちゃんはイスラエルの分離壁のコーナーで止まり、「ここからは閉まってるから絵は見れないよ」と言った。タクシーを降りると近くの男が「その先は今危険だ」と言う。金曜日はパレスチナの挑発がエスカレートする日らしく、別の日に出直したほうがいいといわれた。絵は二つあり一つはその先を通る必要はないので、そっちを見に行くことにした。少し歩くと防弾チョッキを着た鳩にライフルの照準が当たっている絵が壁にあった。見覚えのあるものだ。道路脇で何かが焼かれて煙がたちこめている。人は全く歩いてないが車通りはあった。そこからすこし行った先を折り返せば最後のバンクシーの絵があるはずだが、角には分離壁の監視塔とその横には閉まったゲートが見えた。折り返しの角付近では石や催涙弾のカスが地面に散らばっている。角まで行き、左へ曲がって最後の絵がある通りに入ると今まで以上に大きな石と催涙弾のカスがあたり一面散乱していた。ここも煙が立ち込めて鼻の粘膜が痛いことに気がついた。ただの煙ではなさそうだ。後ろで音がして振りかえると、石が地面に落ちて跳ねるのが見えた。催涙弾のような筒状のものも落ちてきて乾いた音を出した。次から次へと上から投げられている石や催涙弾がどんどん音を立てて地面にあたるが何処から飛んできているか暗くて見えない。さすがにこれ以上はヤバイなと思った。すぐに振り返り今来た道を角へ走った。そこから早歩きで角を曲がって元の通りにもどった。目の前にタクシーが止まり、扉を開けて「乗り込めー」と言うが無視して早歩きで鳩の絵の場所まで戻った。取り合えずイスラエル側に戻らないとと無意識に頭の中で繰り返した。そのまま歩いて分離壁沿いを北へ歩いてイスラエル兵が警備する塀の間を抜けた。イスラエル兵の後姿を見ながらイスラエル側をバス停へと歩くともう大丈夫だという安心感でおおきく息を吐いた。金曜の夜に来たのは失敗だったなーとすこし反省した。













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