2015/NOV/28 「ITバックパッカー」

昨日は宿に着いてすぐに寝て、昼過ぎに起きて洗濯したり、スーパーに行ったりして終わった。本田さんはジャケットを渡すと喜んでくれ、お礼にビールを8本もくれた。

日本人宿のDEEP BLUE HOSTELは1泊20ポンドと破格で、夕飯はみんなで自炊をしてシェアをするのが慣習なのでだいぶ節約できそうだった。ビールは近所で11ポンドで売っていて瓶を返すと1ポンド返ってきた。なんとも居心地の良い物価だ。

ダハブには少しゆっくりしてからカイロへ向かおうと考えていた。アフリカ縦断の情報収拾やダイビングのアドバンスライセンス取得をしようと思う。10年前にエジプトを旅したときはシナイ半島に来なかったので少し観光もしたかった。

ダイビングライセンスは幾つかの店で聞き込みをすると、この宿で取るのが一番安そうだった。シオリンも取りたいというが彼女はPADIではないオープンウォーターライセンスしか持ってなく、そのうえライセンスカードも紛失していた。明日オーナーが朝に来るのでそのときに話そうということになったが、彼女はすでにもういいかなと言い始めていた。

ここについて、綾ちゃんに「実はシオリンとはアフリカ南下しなくなりました」と告げられた。驚くとダハブに来るまでにちょくちょく言い合いがあったこと、シオリンがもう一緒には行けないと決めていること、すでに二人の仲は悪いことを話してくれた。細かに何があったかは分からないが、綾ちゃんはショウ君と予定通りアフリカ南下をし、シオリンは別でまわるということらしい。ここに来るまであんなに仲良かったのにとそんなことが起きていたのに気がつかなかったことにショックを受けた。

ラウンジに戻ると本田さんがシュノーケルを貸してくれると言うので泳ぎに行くことにした。ダハブにはビーチは無く、どこも岩場から水に入る感じだが、小さな町で近いところなら宿から5分で泳ぎに行けた。他の客に聞いたライトハウスと呼ばれるシュノーケリングのポイントまで歩いて行くことにした。

シェリム エル シェイクからのロシアの航空機が爆破されたことによりダハブにはほとんどツーリストがいなかった。海岸沿いにはレストランが隙間なく並んでいたが、何処も歓呼鳥が鳴いていた。レストランに行くとメニューではメインで45~60ポンドと書いてあったが、交渉すると20ポンドで肉か魚の前菜とメインが食べられた。それでもゼロよりはいいとどの店も割りきっているようだった。通りにも活気はなく、たまにツーリストを見かける程度でやることのないエジプト人が溜まっている。テロはエジプトのツーリズムに壊滅的なダメージを与えていた。

ライトハウスでシュノーケルをして、さらにもう2ヶ所で泳いでみた。魚は多く水は透明だが珊瑚はそうでもなかった。海底にはタイヤやゴミが沈んでいて珊瑚も死にかけているように見えた。

その日のシェア飯は親子丼だった。久しぶりの日本食は染み入る美味さだ。日本人だけ10人くらい集まっているのはかなり違和感を覚えたが色々な事を聞けたので良かったし、アフリカ南下組はかなりリサーチをしていて、その情報量には驚ろかされた。旅の仕方はどんどん進化を遂げ、ほとんどの旅人は他の人のブログで情報を集め、それを携帯のアプリに保存してネットなしでも見れるようにしているようだ。オフラインで使える地図アプリがあるので地図も必要ない。みんな同じ複数のアプリを使い、宿選びで一番大事な事はWifiのあるなしになっていた。これはITバックパッカーとでも名付けられそうな旅人だ。


実際この宿にいる旅人にはWifi、スマホ、ノートパソコンのない世界で、ネットカフェと情報ノートを頼りに旅をしたことのある人はいなさそうだ。でもまー便利になったので助かるし、その時代にあった旅を楽しめば良い気がした。このぶんなら10年後には更に進化した旅のスタイルが出てきていることだろうし、そうすることで出来ることも出てくるだろう。その時代にまだ旅をしていれたら幸せだ。










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