2015/OCT/2 「ウクライナの縮図」

ベラルーシ出国審査は夜の2時くらいに電車の中であり、軍服の職員に起こされた。
朝の8時にキエフに着き、電車の中で入国審査があり、終わるとプラットホームに降りた。

駅の中 も外も白タクの勧誘が盛んだ。朝早いのに路上には花や果物を売るおばさんが並んでいる。

予約を入れていたホステルは駅から2キロ程度だったので、町を見ながら歩いて向かった。BOOKING.COMの地図は少し間違っていて、探すのに苦労した。ホステルは通りから奥に入ったコートヤードに面した建物の4階だったが、エレベーターは動かず階段でのぼった。

扉のベルを鳴らしても応答はなく、そのあと扉を数回叩くと中の男が開けてくれた。中は真っ暗で男は全く英語を理解しなかった。男は懐中電灯片手に宿の中を案内してくれたが、客室は臭く、客はウクライナ人とナイジェリア人しかいないようで、モスクワで泊まったホステル同様みんなここで暮らしているようだった。ベッドを選ぶように言われたが、「まず何故真っ暗か教えてくれ」と言うと、停電だと教えてくれた。宿を間違えたと言って、出ようかと思ったが、値段は13.3ユーロとインド並みの値段だったので、とりあえず一晩泊まることにした。

しばらくするとみんな起きてきて、朝食を食べ始めた。出稼ぎがほとんどだが、学生もいるように見える。昼過ぎに女の子が二人起きてきたが、朝食のパンとチーズをビールで掻き込んでいた。たぶん娼婦だろう。

バスルームで洗濯をしてから、街を見に宿をでた。
キエフの街はかなり大きく活気があり、古いクラシックな建物が整然と建ち並ぶ景観はモスクワを連想させた。旧ソ連の都市に共通する、道路を渡るための地下道や、地下のショッピングモールもあったが、スターリンの建てたモスクワの7つの尖塔そっくりの建物まであり驚いた。

夕飯を食べてから宿に戻ると、ダイニングにいたウクライナ人達が話してきた。一人は英語を少し話した。この宿には日本人の旅人が月に一人くらいの頻度で来るようで、皆1年以上旅をしていたと言う。「何故日本人ばかりウクライナに来るんだ?」と聞かれたので、「日本人ばかり来るんでなく、他の国の人はウクライナが 今、ホット過ぎて来れないんだ」と言うと、クリミアの話題になった。若い男はルハンシク出身だといい、まさに親ロ派との紛争地帯だった。もう一人も反ロシアで、ニューヨークの国連総会でのプーチンの動向がTVで映るたびに文句を言った。前日、ウクライナ代表団はプーチンの演説前に紛争で燃やされたウクライナの国旗をかざす抗議のパフォーマンスをしたばかりだ。ここのTVは国連総会とクリミアをめぐる紛争のニュース、軍隊の兵器の紹介番組しかやってない。

少し部屋を出て、戻ると男たちは言い合いになっていて、さっきの二人は怒って出ていってしまった。残った男はハリコフというロシア国境近くの町出身で両親はロシア人らしい。なのでウクライナ人とは全く意見が合わないし、そもそもウクライナ語も話せない。TVにオバマの演説が出ると「ファック オバマ!ファック アメリカ!」と叫んだ。できれば常にTVは消しておきたいと思った。

この宿はまるでウクライナの縮図だ。













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