エクアドルの赤道モニュメントのように大それたものはなく、街道の両側に小さなモニュメントがあり、赤道を表す黄色い線が地面に引かれていた。みやげ物屋が数件あり、そのうちのひとつのカフェは赤道の上に建っているので、カフェの中まで赤道の線が引かれていた。モニュメントの近くには渦巻きの向きの実験ができるタライが設置されている。わざわざ、これを見るために、あの大混雑のカンパラのタクシーパークからここへのタクシー(乗り合いバン)に乗り、片道2時間もかけるのはどうかと思うアトラクションだった。
カンパラへ戻り、町を歩いているとヒンドゥー寺院があった。なかには立派なナンディーがどっしりと構えている。ケニア、ウガンダ、タンザニアはイギリス統治時代に線路をひくのにインド人がたくさん連れてこられたので、結構インド人がいる。彼らはアフリカにもすっかり馴染んでいるように見える。一方で、最近はアフリカの建築、土木工事のほとんどを中国のゼネコンが受注しているので、アフリカ全土で中国人が急速に増えてきている。中国人は想像通り嫌われているが。何処にいっても嫌われる中国人が、一番何処にでもいるというのはへんな感じだ。
カンパラ市内は緑が多く、晴れているととれも雰囲気がよかった。シェラトンホテルの庭を散歩してから大通りを歩いていると、ふと見上げた木の上に、恐竜のような怪鳥が止まっていた。羽を広げると2mはある不気味な鳥は、何羽も町中にいる。ウガンダ人は慣れているので見向きもしないが、こんな大きな鳥が町中にたくさんいるのは、かなりビビる。小さな子供なら食べてしまいそうだ。
宿に戻る前に午前中に頼んでおいた、タイパンツの修理をピックアップしに行った。市内の一角に裁縫屋が密集しているエリアがあり、修理を頼んだのだ。ネパールで7年前に買ったタイパンツは生地が弱り、何度修理をしても破れるようになってしまったので、パンツの下3分の2を新しい生地に変える大手術をすることにした。上3分の1はスーダンで取り替えているので問題はなかった。近くの生地屋で元の生地より丈夫な生地を買い、それを修理屋に持って行って、縫製を頼んだ。元の生地をバラして型を取るように伝えていた。
修理屋は自身たっぷりに奥からパンツを出してきた。しかし、それはタイパンツではなくスラックスだった。正確に言うと上3分の1はタイパンツで股下からスラックスだった。斬新過ぎる。が、完全にNGだ。修理屋に「あれだけ作り方を細かく説明して、分かったといっただろ!」と怒ると、修理屋の少年の顔はやってやったぜ!から何が悪いんだ?に変わった。これで間違いが分からないのはすごい。時計はすでに五時過ぎで、日が低くなってきていた。暗くなる前に宿に戻りたかったが、これは長期戦の予感がする。少年にすぐにタイパンツをバラさせて、元の生地から型を取り、チョークで線を引いて、それを切るように説明した。少年は切るのも適当でチョークの線からはだいぶ外れて生地を切る。仕方なく手本を見せて、「ここを正確に切るんだ」と怒る。型をチョークで書いた布を渡し、少年が切るという作業を続け、生地がそろったところで少年が縫い合わせていき、六時半を過ぎたころに何とかタイパンツの形になった。隣の修理屋は二人で作業したのに、修理賃を払うのかと笑ったが、長時間を費やした少年に最初に決めた代金を渡すと万遍の笑みを浮かべた。ネパール産のタイパンツは腰紐以外、オリジナルのパーツが無くなった。このパンツはアフリカでどんどん変化を遂げている。