前日ディリの宿に着いたのは夕方7時。ディリまでの道は話に聞くよりはるかにマシな道のりだったが移動には聞いたとおり12時間以上かかった。
宿のドミトリーにはバイクで旅をしているインド人のラジとクパンの宿にいたドイツ人のベンがいた。ラジはオーストラリアの大学で建築を学び、その後1年程度設計の仕事をして辞めて、オーストラリアからインドまでのバイクの旅を始めたそうだ。大学の前にオーストラリアの永住権取得に8年を費やしたためすでに39歳だった。旅に出る前に隈研吾の事務所で働いていたと話すと「ホントかー」と喜んだが、パートナーだったと話すと目を丸くしていた。
宿のドミトリーにはバイクで旅をしているインド人のラジとクパンの宿にいたドイツ人のベンがいた。ラジはオーストラリアの大学で建築を学び、その後1年程度設計の仕事をして辞めて、オーストラリアからインドまでのバイクの旅を始めたそうだ。大学の前にオーストラリアの永住権取得に8年を費やしたためすでに39歳だった。旅に出る前に隈研吾の事務所で働いていたと話すと「ホントかー」と喜んだが、パートナーだったと話すと目を丸くしていた。
ディリでまずやることはインドネシア再入国のためのVISA申請だ。5時半に起きて長ズボン、シャツに着替えてまだ暗い中宿を出る。インドネシア大使館は幸い宿から徒歩10分だった。情報だとこの大使館はあまりにやる気がなく、1日に40人程度しかVISA申請を受理できないという能力の低さらしい。そのため現地人含めて朝6時にまだ開いてない大使館にわれ先に来て警備員の持っている順番リストに名前を書くというおかしなことになっていた。しかもなぜか短パン、タンクトップでは中に入れてもらえないのでこの赤道からそう遠くない場所で長ズボンとシャツに着替える必要がある。6時5分に大使館の入り口に着いて警備員にリストを見せてもらうとすでに16人の名前が書いてあった。とりあえず17番目に名前を書いて宿に戻る。帰り道では空が徐々に明るくなっていくのがきれいだった。
コーヒーとパンの簡単な朝食を食べて、9時に大使館へもどると入り口が開いていて警備員にパスポートを見せて中に入れてもらえた。中で申請書をもらいその場で書いて、他の必要書類と一緒にして、窓口で渡すと「2日後の金曜日の午後2時だ」とだけ言われた。
町をぶらつきながら宿に戻るとベンも申請を受理してもらえたといって喜んでいた。ベンは10ヶ月の旅の予定でStar Allianceの1年間有効の大陸間航空券を使って旅してるそうだ。彼は船とバス、鉄道で旅をして、陸路国境を越えてじっくり回りたいと会う人に熱っぽく語るが彼の航空券は場所と時間をあらかじめ決めて事前購入する必要があり、どんどん国を飛ばして回らないと間に合わないというまったく逆の用途である。この手の航空券は基本的には短期間でざっくり地球を回りたいという人用であり旅の柔軟性がなく値段も安くはない。大学卒業後に1年旅をするといった人向けだ。そして話を聞く限りベンはインドネシアの長距離フェリーをまだ一度も乗ってなかった。
2ヶ月VISAを申請したラジは書類不備で突き返されたと帰ってきた。彼は今日で4日目だという。
ディリはUNと各国のNGO活動くらいしか見所も無く、旅行者よりボランティアの外人のほうがはるかに数が多い。ほぼ唯一の観光名所のクリストル・レイと呼ばれる大きなキリスト像が半島の先端の丘の上に建っていた。そして、それは夕方に見るにはちょうど良さそうだった。
すこし早めに宿を出て、フルーツマーケットを見て、海沿いに漁師や子供たちを見ながら歩いていくことにした。ディリの人々は写真を撮るとどんどん集まってきて、こっちも撮れあっちも撮れと大騒ぎになる。見所はなくとも悪くない場所だ。
2時間以上かけて着いたクリストル・レイには多くのローカルが集まり夕日を眺めていた。帰りはバスで帰りたかったが、見当たらないので歩いて宿まで帰った。往復で14キロだ。途中大きなスーパーがあったのでのぞくと輸入の缶詰、瓶詰め、酒類、冷凍食材がびっしりと並んでいた。驚いたことにフルーツさえも輸入品だった。現地人が買い物してる気配はない。これもUNの職員用ということなのか。
日が沈んだ後のディリはメインストリート以外は真っ暗で暗闇の中から人の声がたくさん聞こえる。そこは現地人の粗末な家が建ち並ぶ場所だったなと昼間歩いたときの記憶をもとに宿への道をあるいた。
すこし早めに宿を出て、フルーツマーケットを見て、海沿いに漁師や子供たちを見ながら歩いていくことにした。ディリの人々は写真を撮るとどんどん集まってきて、こっちも撮れあっちも撮れと大騒ぎになる。見所はなくとも悪くない場所だ。
2時間以上かけて着いたクリストル・レイには多くのローカルが集まり夕日を眺めていた。帰りはバスで帰りたかったが、見当たらないので歩いて宿まで帰った。往復で14キロだ。途中大きなスーパーがあったのでのぞくと輸入の缶詰、瓶詰め、酒類、冷凍食材がびっしりと並んでいた。驚いたことにフルーツさえも輸入品だった。現地人が買い物してる気配はない。これもUNの職員用ということなのか。
日が沈んだ後のディリはメインストリート以外は真っ暗で暗闇の中から人の声がたくさん聞こえる。そこは現地人の粗末な家が建ち並ぶ場所だったなと昼間歩いたときの記憶をもとに宿への道をあるいた。
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