2015/JUL/3 「短気なハイランダー」

7時半に島に着いたときのビーチへ歩いていくと、ボートが2台と数人の人が待っていた。運ちゃんはすぐに荷物をボートに運んでくれた。マダンへのボートはやはり水を何度もかぶった。途中飛魚がボートの中に飛んできて乗客の女の子は喜んで拾い上げた。市場なら3キナくらいはする大きさだ。

Kubuganからまたバスでマダンに戻り、そのままゴロカ行きのバスに乗った。バスはすでに乗客がたくさん乗っていて、そこまで待たずにマダンを出発できた。以前ここでバスの乗客が集まるのを5時間待ったツーリストの話を聞いていたので安心した。バスに乗っていたほとんどの乗客はどうやらマダンの専門学校の生徒のようで休みにゴロカへ帰る生徒たちだった。パプア人は年齢が見分けずらく、言われなければ学生には到底見えなかった。

マダンからゴロカへの道路はそれまでの道とは比べ物にならないくらい整備されていて、しばらくすると見渡す限りのサトウキビ畑が見え、内陸側には山が見えてきた。マダンからレイに行く道の分岐がありバスはゴロカ方面へ曲がった。そこからは登り道だった。運ちゃんの横に座っていた若い二人はどうやらお酒を持ち込んでコーラに混ぜて飲んでいたようで、かなり騒ぎ始めた。二人は良くわからないスピーチをはじめ窓を開けて、周りの人にも大声で話しかけ始めた。だいぶ標高が上がり、気温が下がってきた。隣の女の子があと1時間くらいでゴロカだと教えてくれた。

酔ったうちの一人が窓から乗り出して叫んでいたが、しばらくすると運転手は商店が集まったところで車を止めた。すると何人かの男が寄ってきて助手席の窓越しに酔った男に話しかけた。男はなにやら答えていたが次の瞬間、外に集まった男は酔った助手席の男に殴りかかっていた。何人かが男の顔にパンチを食らわせて、あわてて他の乗客は窓を閉めて、運転手に早く出せと怒鳴った。車は何とかそこを出たが今度は殴られた男が怒って車を止めろと言って、バスを降りて走ってさっきの場所へ向かっていった。男は殴った連中のほうへ罵声を投げていたが、すぐに30人くらいに囲まれて見えなくなった。乗客は運転手に連れ帰るように言い。運転手がバスから歩いて群衆の中に入っていった。人の輪の中でぼこぼこにされた酔った男は運転手の連れられて帰ってくるとTシャツが引き千切られて口からも血を流し無残な姿だった。とりあえずバスの中に入れて窓を閉めたが、周りの群集は興奮していて車体や窓を殴り始めた。運転手は席に戻るとすぐに車を出してそこを抜け出した。酔った男は怒ったまままた戻ると言って興奮していたが、誰も話を聞かなかった。


すでに日は沈んであたりは暗くなっていた。建物の数が徐々に増えてきて空港の滑走路らしきものが見えてきた。その奥が町の中心部らしい。乗客は降りたいところで徐々にバスを降りていった。運転手は「何処に行くんだ?」と聞いてきて、「とりあえずルートランゲストハウスへ行ってくれ」と頼んだ。ルートランゲストハウスはかなり中心部だったが値段が130キナで高かった。マダンのときのようにミッショナリー用の値段で泊めてくれと頼んだが断られた。そこのスタッフに安いゲストハウスを聞くとすこし上がったところに1件あるという。ゴロカは高原の小さな町という感じで夜は暗かった。運転手は道に詳しくないようでそこからは乗客の一人が運転を代わった。彼はその場所を知ってるようで建物の前に着くと降りてスタッフに値段を聞いてきてくれた。「180キナだ。それでも高いならうちに泊るか、運転手の家に泊れ」という。一瞬考えたが、カルカル島で宿代は浮いていたので80キナでもいいかと「ここで問題ない」と伝えてバスを降りた。みんな良かったーという笑みを浮かべていた。

宿はResearch & Conservation Instituteという団体の職員用宿舎だった。4人部屋だが、宿泊者がほとんどいないので1部屋を使わせてくれた。この団体はEUの支援でできているようで建物も北欧のユースホステル並みにきれいでホットシャワーも使えた。ただし管理人が電気料金を払ってないので電気が止められていた。

無性にビールが飲みたくなり、宿のセキュリティー同行で近くの酒屋でPNGのビールを買ってきた。5キナもする斬新すぎるデザインのビールはどこの国のビールより不味かった。本当におかしな国だ。




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