2015/JUN/27 「チリ毛と軍隊と武蔵丸」

昨日午前中申請したインドネシアVISAは約束どおりその日の午後に受け取れたので、今日は予定通り飛行機でマダンへ行く。

チケットを買ったときにチェックインの時間を聞くと800AMだといわれた。飛行機は1220発だ。おかしいなと思いながら朝8時にTravel Airのオフィスに行くとたくさんの人がそとで待っていた。8時を20分過ぎたくらいでオフィスが開くと待ってた人は中になだれ込んだ。なぜ1220発の飛行機に乗るのにこんなに早く空港にきてチェックインする必要があるのかわからなかったが、待ってた人たちはみんなチェックインに来た人のようだった。チェックインを済ませてバックパックを預けて町に出たが3時間半も時間はあった。市場でも見るかと歩いていると先ほど空港で会った家族に会った。「今日のフライトはキャンセルだよ」と言う。「そうなの!?」取り合えず空港へ戻り、聞くと今日のフライトはキャンセルで予約は次の火曜に持ち越すと言われた。もう見るとこもなさそうなヴァニモにあと3泊はきついなーと思い、返金してくれと頼んだ。昨日ビーチを歩いてたときにアイタぺ行きのボートに人が群がっていて、そのボートとトラックでウィウェックに行き、またボートに乗り、マダンへ行けると話していたのを思い出した。「ボートだな」と返ってきたお金を財布に入れると、ビーチへ歩き出した。

歩いているとおじさんに「何処へ行くんだ?」と声を掛けられてアイタぺ行きのボートに乗りたいと言うと「着いて来い」と案内を申し出てきた。そのおじさんはNew Guinea Powerという町で唯一の発電所で働いていて、日本人だというとこの町の電力は日本製の2台の発電機でまかなっていると教えてくれた。日本製は効率がいいとここでも親日感たっぷりだ。

ビーチに着くとおじさんはボートの運ちゃんらしき男を見つけて、なにやら話をしてから「この男はマイブラザーだ。話はしておいたから心配するな」と言った。こんな偶然兄弟がいるのもおかしいと思ったが、いろんなブラザーがいるのだろうと深くは聞かなかった。おじさんは船にバックパックを積んでくれ、木の下で「ここで座って待ってればいい」と言って自分も座った。仕事はいいのだろうか?30分ほどしてもボートは出る気配がないのでおじさんに「大丈夫だから仕事に戻ってくれ」と言うと、同じボートに乗るチリ毛が爆発したおばさんに話をして「この人が面倒見てくれるから」と言って去っていった。周りのボート待ちの人に聞くとボートでアイタぺまで行き、そこからトラックでウィウェックに行き1泊して、次の日ボートでマダンへ行けるとのことだった。

結局ボートは11時過ぎに出発した。小型のモーター付きボートに大量の米やら電化製品などの荷物が積まれて、その上に人が12人くらい乗った。どう見ても積載超過だ。そんなことまったく心配した様子もなく運ちゃんはポリタンク6個のガソリンを最後に後ろに積み込み2台のモーターをフルスロットルで出発した。とんでもないスピードだ。当然ボートは跳ねまくるし、水しぶきもガンガンかぶる。靴は脱いで荷物を覆うビニールシートの下に押し込んだ。チリ毛のおばさんは揺れまくるボートの上でひっきりなしにビートルナッツを口に運ぶ。続けて変な植物の茎に白い粉をつけてかじる。変色して真っ赤になったナッツの汁を吐き出す。他の客も常にかじっては吐くので赤い汁が風に乗ってくる。これからはボートの先頭に乗ろうと思った。目の前に座っていたおじさんが話しかけてきていろいろなことを説明してくれた。彼は軍隊の人間だといった。隣に座ってフライドポテトを食べている武蔵丸に似た人が奥さんでマダン行きのフライトがキャンセルになってボートで帰ることにしたと言う。

ボートは3時間ほどで入り江にある集落に着いた。休憩のようだ。そこは海に面していたが他の村への道もなさそうな隔離された村のように見えた。15分ほど滞在して再度入り江から海へ出た。気がつくとチリ毛のオバさんは燻製の魚とクレープのようなものをほおばっていた。おばさんは「食べるか?」とすすめてきて、魚半分とクレープ1枚をくれた。「セグだ」という。セグというのは亜熱帯ジャングルの原住民の食料でセグの木を削って煮て作るもので米のないジャングルでは主食として食べられていた。ヴァニモの市場で買って食べたものはゼリー状で丸く固められたものだったが、これはまったく見た目の違うセグだった。食べてみると酸味があり確かにセグの味だがゼリー状のより癖が少なく食べやすかった。それから「セグはパプアのソウルフードだ」と軍隊のおじさんは熱く語った。

1時間ほどでアイタぺに着いた。ボートから荷物を降ろすとチリ毛のおばさんと軍隊のおじさんがトラックを探しに行くといって街中へ歩いていった。ウィウェックへ行くのはチリ毛おばさん、軍隊のおじさんと武蔵丸、そして俺だけのようだった。彼らは信じられない量の荷物をボートに積んでいて、ボートを降りたとこに荷物を降ろしたが、自分たちで荷物を持って歩くのは不可能だった。しばらくして2人は戻ってきたが、トラックはいたが1000キナと言われたという。町にいるトラックはランクルで通常一人50キナで20人くらい荷台に乗せるので彼らの荷物分を考えると無理もない値段の気がした。だが彼らは一人50キナでなんとか荷物も運びたいようでまったく交渉にはならなかった。

地面に座り込んで考えていると武蔵丸はかばんからフライドポテトと牛テールを煮たものを出して、一つずつ俺とチリ毛にくれた。ありがとうと言って座ってみんなで食べた。そのうち日が沈みかけてきた。軍隊が「この町は夜は危険だから、ホテルを探さないと」と言って、探しに行った。ホテルは一つしかなく185キナだった。高い。チリ毛はそんな出費は馬鹿馬鹿しいと言って怒ってしまった。軍隊は「命には変えられない」という。「警察に泊めてもらえるか聞こう」と言うと、軍隊は泊めてくれるはずないという。「聞いてくるよ」と半ば強引にそこを離れた。

警察に行くと制服が無いようで誰が警官かまったくわからなかったが、とりあえずボスっぽい一番太った人に泊めてほしいと聞くと「まったく問題ない」と言われた。日本から来た旅行者だというと「シャワーもトイレもあるし、キッチンも使ってくれ」と言い、かなり親切になった。みんなに知らせると、さっきチリ毛がウィウェックの知り合いに電話したらこっちに向かってるトラックがあると教えてくれたので着き次第それに乗れそうだと喜んでいた。取り合えず暗くなる前に警察に荷物を運ぼうと言い、みんなで荷物を警察に運び入れた。警察の人たちは牢屋に入った囚人も含めてみんな親切でフレンドリーだった。トイレの場所も囚人が檻の中から教えてくれた。ただし副所長っぽい男は2人になったときにケイタイのヴァーチャーを買ってくれないかと頼んできた。それもお金がないと断ると「今言ったことは忘れてくれ」とさわやかだった。

チリ毛の仕入れた情報のトラックは着くなり700キナだと言われて撃沈した。チリ毛を「今日は警察に泊ろうよ」と諭して一足先に寝床を作ろうと所長に相談すると、「お前は所長室を使え」と言って、所長室の壁に立てかかっていた大きな3×6判のプライウッドを床に敷いてくれた。プライウッドの裏にはなにやら警察のスローガンっぽいことが書かれた看板のようだったが、気にせずその上に寝袋を敷いた。所長室は天井にファンが付いていて気にしてたマラリヤ対策は問題なさそうだった。

みんなに先に寝ると伝えて寝袋の上に横になった。プライウッドは硬かったが寝れないこともなかった。だたし、部屋には穴があるようで夜中ねずみが走り回り落ち着いて寝るという感じにはならなかった。








0 件のコメント:

Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...