朝起きて顔を洗い、レセプションに行くとパンを切っているスタッフがいた。彼はパンを分けてくれ「コーヒーも飲んでいいよ」と、コーヒーパウダーを差し出した。コーヒーとパンを食べながらマダン行きのボート乗り場の場所を聞いた。するとその男は若いスタッフにボート乗り場まで案内するように伝えてくれた。宿は汚かったが宿のスタッフは皆親切で、フレンドリーだった。昨夜も寝る前に蚊が心配だというと部屋に殺虫スプレーを撒いてくれ、横になるとベッドの上に何匹も蚊が倒れていてなんとなく安心して寝れた。
この宿のボスは40年位前にPNGにミッショナリーとして来たというユーゴスラビア人の70くらいのおばあさんでレセプションのTVの前のベンチに居座り、そこからパプア人のスタッフへハスキーな早口で命令を下していた。スタッフは呼ばれると「ハイ、マム!」と元気よく返事をして走ってやってきた。常に聞き取りづらい独り言を言っていて、あまり話しかける気にはならなかったが、遠くから見ると黒人奴隷を扱使う白人のように見え、いつかスタッフに殺されないか心配になった。
この宿のボスは40年位前にPNGにミッショナリーとして来たというユーゴスラビア人の70くらいのおばあさんでレセプションのTVの前のベンチに居座り、そこからパプア人のスタッフへハスキーな早口で命令を下していた。スタッフは呼ばれると「ハイ、マム!」と元気よく返事をして走ってやってきた。常に聞き取りづらい独り言を言っていて、あまり話しかける気にはならなかったが、遠くから見ると黒人奴隷を扱使う白人のように見え、いつかスタッフに殺されないか心配になった。
若いスタッフと歩いてボート乗り場まで行き、ボートの運ちゃんと話をすると150キナだと言われた。聞いていた金額なので問題ないがボートはマダンまでは行かずBogiaというところまでしか行かないという。どのボートも同じでBogiaまでボートでそこからはトラックだと言う。またトラックかーと前にトラックの辛さを思い出したが、他に方法はないのでお金を払い、バックパックを船に積んだ。
まだ時間があるようなので宿のスタッフに町を案内してもらい、市場へ行きセグと魚の燻製を買った。このセグはゼリーともクレープとも違うもので6ミリくらいの厚みの餅のようなものだった。食べるとゼリー状のものよりはマシだがクレープ状ほどおいしくはなかった。ボートに戻るとまだガソリンの補充をしていて、11時にようやく出発した。ボートはヴァニモからのものとまったく同じ小さなボートに荷物を満載に積みその上に人が乗るという危険きわまりないものだったが、途中雨が降ったのでさらに危険度は増した。ボートのエンジンは何度も止まり、そのたびにボートは波に揺らされたまま動けなかった。
3時間くらい行くと浜辺に着岸しそこで休憩をし、さらに2時間くらい行ったところで隣に座ってた男が突然「End of Sepik River」と言った。だが川らしきものは見えなかった。さらに30分ほど進むと大きな川の河口のようなものが見えてきた。隣の男はまた「End of Sepik River」と告げた。なるほどとどんどん近づく河口を見つめた。ボートは2kmくらいある河口を横切りはじめ、川の中間くらいに来たときに隣の男が「End of Sepik River」と言った。もうわかってるよと思ったが笑顔で返した。
まだ時間があるようなので宿のスタッフに町を案内してもらい、市場へ行きセグと魚の燻製を買った。このセグはゼリーともクレープとも違うもので6ミリくらいの厚みの餅のようなものだった。食べるとゼリー状のものよりはマシだがクレープ状ほどおいしくはなかった。ボートに戻るとまだガソリンの補充をしていて、11時にようやく出発した。ボートはヴァニモからのものとまったく同じ小さなボートに荷物を満載に積みその上に人が乗るという危険きわまりないものだったが、途中雨が降ったのでさらに危険度は増した。ボートのエンジンは何度も止まり、そのたびにボートは波に揺らされたまま動けなかった。
3時間くらい行くと浜辺に着岸しそこで休憩をし、さらに2時間くらい行ったところで隣に座ってた男が突然「End of Sepik River」と言った。だが川らしきものは見えなかった。さらに30分ほど進むと大きな川の河口のようなものが見えてきた。隣の男はまた「End of Sepik River」と告げた。なるほどとどんどん近づく河口を見つめた。ボートは2kmくらいある河口を横切りはじめ、川の中間くらいに来たときに隣の男が「End of Sepik River」と言った。もうわかってるよと思ったが笑顔で返した。
ボートはSepik riverを渡りきり、その後ラム川を渡り、さらに進んだところの小さな川に入っていった。川の両側にはジャングルの中に集落のようなものが見え、カヌーを漕いでいる人と何度かすれ違った。圧倒的な自然と素朴な伝統建物以外は何もなく、すごいところに来たなーと昔ローカルボートで旅したアマゾン川を思い出した。15分ほど川を進んだところの集落にボートは着岸した。どうやらここがBogiaらしい。
ボートから降りて荷物を降ろしたが、そこは人の家のような場所でどこに荷物を置けばいいのかわからず背負ったままいでいると、家の人がここに置けと高床の建物の屋根の下の板張りの床に荷物を置かしてくれた。荷物を置いた建物の逆側の庇の下で母親らしき人が何かを煮ていて、小さな子供たちがそれを見ていた。建物の裏で2人の若い男が椰子の実の皮を次々とむいていた。母親は煮ていた鍋からたくさんのタライに茶色の液体を流し込んでいた。「セグですか?」と聞くと、「そうだよ」と教えてくれた。母親はセグの作り方を簡単に説明し、ジャングルの奥を指差してあれがセグの木だと教えてくれた。裏の2人のを指してあれはココナッツミルク用の椰子の実で焼いてから市場で売るんだと言った。そんな感じで家族は徐々に話をしてきて、いつの間にかみんな打ち解けた雰囲気になった。母親はできたてのセグをすすめてくれ、すこしだけもらった。セグだけでなくココナッツミルクと貝と菜っ葉の入ったスープをセグにかけて出してくれた。すべて家の周りで取れたものだけで作られたとは考えられないくらい洗練された料理のようだった。電気もガスも水道もないが、しっかりと持続的な生活をしている人々がここにはこんなにたくさんいるとうれしくなった。すぐ脇を流れる川には森で切ってきた薪を積んだカヌーが集落の前を通り過ぎてゆく。ここは気持ちいいくらい自然の中だ。
そうこうしているうちにあたりは暗くなり始めて、あちこちの小屋で火を焚いているのが見えた。トラックはいっこうに来ない。いい加減待っているのも疲れて、荷物を置いた板の間に横になった。蚊が容赦ない。ここはパプアの中でも有数のマラリア汚染エリアだ。帽子の下から手拭を垂らして首、耳を覆い、顔の前に持ってきて鼻の下で結んだ。そして長袖のシャツの袖口のボタンを留めて、露出している手をズボンのポケットに入れた。これで顔の鼻から上以外は刺されないだろう。他の乗客も疲れて寝始めた。
0 件のコメント:
コメントを投稿