2015/JUL/1 「大きな決断」

昨日は暴動でほとんど宿から出れなかったので、今日は朝から町にでていろいろ調べなければならない。カルカル島への船、マダンからの航空券の値段、あとはインターネットができるところがあるか。PNGに入ってから今まで一度もネット環境はなかった。とりあえず宿を出て、ダウンタウンへ歩いていく途中にカルカル島行き船乗り場の場所を聞く。すると近くのおじさんが「俺のランクルで乗せていくよ」と寄ってきた。PNGでは頼んでないのに外出のほとんどは誰かが車で連れて行ってくれるか、エスコートしてくれる。たぶんこんなに世話焼きな国民はないだろう。治安が良くないのもあり外国人を見るとみんないろいろと心配してくれる。

車で船乗り場へ乗り付けて、船があるか聞くと今日はなく、明日の11時くらい発とのこと。島に行くボートがマダンからすこし行ったKubuganというところからも出ているという。そっちは小さなボートで人が集まり次第出発するらしい。お礼を言って次はエアニューギニのオフィスへ行ってもらった。ちょっと時間がかかりそうなのでランクルのおじさんに「ここまでで大丈夫だ」と伝えて帰ってもらった。

エアニューギニのオフィスは相変わらず空調が効いてて快適だ。国内線と国際線のカウンターが分かれていて、国際線のカウンターはさらにExsective/Foreign guestとその他に分かれていたが、これはまったく機能してなさそうだった。かなり待たされたあとにExsectiveのほうが空いたので航空券の値段を調べてもらった。マダンからヴァニモは530キナと高い。PNGに入りここまで6泊して国境からマダンまできたが、島に行った後また同じ国境へ戻るのはあまりにばかげているように感じた。しかしインドネシアパプアのジャヤプラからスリランカまでのフェリーチケットと3枚の航空券はすでに買ってしまっていた。しかもヴァニモで120キナも払いインドネシア再入国のためのVISAを取得済みだ。これらすべてを捨てれば同じ道を戻らずにオーストラリアへ抜ける道が開ける。


とりあえず、レイからポートモレスビーの航空券とポートモレスビーからブリスベンまでの航空券の値段を聞いた。ポートモレスビーまでは安いときで360キナでブリスベンまでは安くても550キナだった。ただし安い航空券は日にちが合わず、ブリスベン行き最安値航空券に日付を合わせるとモレスビー行きは420キナになった。ヴァニモまでの530キナを考えると安いように感じた。そしてオーストラリアへ抜ける決断をした。5万円くらいをドブに捨てる大きな決断だったが、なぜか晴れ晴れとした気分になった。

スタッフに「ブリスベンからスリランカへのLCC航空券を押さえる必要があるんだけど、どこかこの町でインターネットが使えるところがあるか教えて欲しい」と言うと他のスタッフに聞いて、町で一番のホテルに電話してくれた。だがそこはネットはないと言われた。次に街中のネットカフェの場所を教えてくれたが、そこも行ってみるとネットは無かった。さらにそこのスタッフが教えてくれた場所に行くとようやくネットカフェっぽい内装の店にたどり着いた。PNGではじめてのネット環境だ。驚いたことに白人がカウンターに座っていた。英語で話しかけるとむこうも驚いた感じで、「何処から来たんだ?」と聞いてきた。「日本人でPNGを旅してる」というと「一人でか?」とだいぶおどろいた様子だった。彼はニックというオーストラリア人でマダンに12年住んでるという。昨日の暴動の話になり、アジア人は中国人に間違われて襲われるかもしれないから気をつけろと忠告してくれた。ネットの値段は3010キナと世界一高かったが、はじめの10キナを払うとニックは後はお金を取らず使わせてくれた。ニックは「お金に困ってるならうちに泊っていいよ」と申し出てくれたが「とりあえず用事は済んだから今日カルカル島へ行くよ。ここに戻ってきたら泊めてくれ」とお礼を言って別れた。

宿に戻り、おばさんにカルカル島へ行くと伝えた。そこに泊っていたミッショナリーのアメリカ人老夫婦とすこし話をしてから出る準備をした。その老夫婦は以前マダンのATMでお金をおろした後を襲われて、ブッシュナイフで切りつけられた話をしてくれた。旦那のほうは手首から先を切り落とされたらしい。手は縫いつけてくっついたが、指はすこししか動かせないという。「くれぐれも気をつけて」と心配してくれた。お礼を言ってからバックパックを背負うと宿にいたスタッフ、宿泊客は何年かに一度の珍しい客を見送るようにみんあ笑顔で見送ってくれた。

Kubuganへはバスで1時間以上かかったが、ボートはまだありそうだった。バスの運ちゃんがボートの運ちゃんと話をして荷物を運んでくれた。30分ほどして人が集まりボートに乗ったがすでに4時をまわっていて、波が気になった。案の定、波は高く45分くらいの航海だったが全身ずぶ濡れになった。だがそれよりも沈まなかったことへの安堵のほうがおおきく、濡れたのは気にはならなかった。

船は島の南東のTakiaという場所に着いた、そこには病院があり、その病院の隣にゲストハウスがあるはずだった。病院の敷地へ入り、まわりの人にゲストハウスの場所を聞くと連れて行ってくれたが管理人が不在でチェックインできない。するとそこの向かいの家から出てきた白人の男が驚いたようにこっちを見て、挨拶してきた。彼はこの病院で働いていると言う。ミッショナリーかと聞くと「そのようなものだよ」と笑って答えた。彼はここへは何しに来たか?ひとりか?といろいろ聞いてきたが、PNGを旅してるというと「この2年ではじめてのバックパッカーの訪問だ」と驚いていた。管理人が帰ってこないと入れないのでとりあえず病院のゲートで待つことにした。いつの間にかまわりから集まってきた人に周りを囲んだが誰も管理人の居場所を知らなかった。


夕日が沈み始めたころさっきの白人スタッフが車で通りかかり話しかけてきた。彼は「日が沈むとみんな家に帰ってしまうし、外にいるのは危ない。あのゲストハウスの管理者は病院の院長で彼は今6ヶ月のホリデーでいないし、あのゲストハウスには院長の親戚が住んでるから実はゲストハウスとしては機能してない。」と教えてくれた。そして「この病院に以前働いていたドクターの家が空いてるからそこに今夜は泊ったらどうだ?」と提案してくれた。そうさせて欲しいと伝えると彼は助手席のドアを開けてくれ、その空き家まで連れて行ってくれた。簡単に電気や、鍵などの説明してくれ、「食べ物は持ってきたか?」と聞き、「あまりない」と答えるとこの辺で食料は今からだと手に入らないからと夕食に招待してくれた。


とりあえず荷物を解き、シャワーを浴びると驚いたことにホットシャワーだった。ドクターの家だけあって、ベッドルームは4つもあり、キッチンもしっかりしてした。ただし村に電気は来てないので夜7時から10時と朝7時から12時まで病院の発電機がまわっている時だけ電気が利用できるが、あとの時間はソーラーパネルで貯めた電力で各部屋に1灯ずつあるLED照明のみが使えた。ひとりで4LDKは手に余る広さだった。

約束した7時半に彼の家に行くと彼と奥さんが迎え入れてくれた。彼はパウロといい奥さんのコンスタンとともにドイツのルートラン教会からカルカル島の病院にボランティアにいていると言う。コンスタンはドクターでパウロはロジスティックだが、ここでは基本的に何でも屋のような仕事だそうだ。病院には以前コンスタン含め3人のドクターがいたが一人は急に故郷マダガスカルに帰ってしまい2人になってしまったそうだ。まーそのおかげで今夜の宿があるわけだ。もう一人のドクターはパプア人で話しにならないらしい。二人ともPNGの話になると日ごろの不満をぶちまけるように話をした。

今までのところ会う人会う人親切にしてくれたが、働くとなるとまったく違うようだ。この国には医者は300人でそのうちしっかりした医者となると80人程度だという。みんな地方の病院には行きたくないので人口の8割が地方に暮らすPNGで病院の8割は都市にあるという。そして医者も警官もまったく信用できないと言う。コンスタンは「あるときレイプされた女性が警察に行き、警察で警官にさらにレイプされた」と話した。また先日病院で入院してた妊婦がコンスタンが休暇中に出産したが、その女性は夜中、産気づいたが医者も看護婦もだれも見つけられず自力で出産したと言う。コンスタンが看護婦にもう一人のドクターはどうしてた?と聞くと寝ていたという。この国は近代文明に触れてからまだ70年程度しかたってないのに、みんな車やケイタイを持っている。彼らは文明社会での生活の仕方を学ぶ前に物だけ手に入れてしまったとパウロは言った。看護婦やスタッフは理由なく休み、それを理由に解雇するとその看護婦の出身の村から40人くらい男がブッシュナイフを持ってやってくるので病院は誰も首にはしないらしい。最後にコンスタンは「でも、急に患者の体調が悪化したとき、医者がだるいからその日は働きたくないと言っても患者の家族は怒らない。みんなそれで納得するんだ」と言った。「ここはそれが病院でそれ以上のサービスは病院スタッフも仕事が増えて嫌な顔をする。なにかを成し遂げようと大志を抱いて来るとすぐに砕けてしまう」とすこし冷ややかに話した。

夕食はコンスタンがココナッツミルクのカレーを作ってくれ、実に久しぶりのビールもいただいた。久しぶりにちゃんとした料理を食べた気がした。10時に発電機が止まる前に家に戻ることにして、お礼を言って家に戻った。もどってすぐに電気は消えてしまったが、LEDの明かりを頼りに食料を天井のファンから吊るした。ここで数少ない食料をネズミにやるわけにはいかない。それから一番大きなベッドルームのベッドにシーツを敷いて横になった。






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