2015/JUN/11 「東ティモールのキリスト教」

インドネシアのVISAの受け取りは2日後の午後と言われたので12日で東ティモール第二の都市Baucauへ行くことにした。ポルトガル植民地時代の旧市街があると宿のスタッフが教えてくれた。

朝食を食べていると、クパンの宿で会ったスイス人の若い女の子2人組がやってきた。彼女達は今ボランティアをしてる知り合いの家に泊まっているが明日には知り合いが別の場所へ行くのでこの宿に移りたいらしい。二人はクパンにいたときから妙な咳をしていて、どう見ても何かの病気のようだった。一度医者に行くように進めたが病院には行きたくないと聞かなかった。ドイツ語圏の出身なのでクパンではベンと遅くまでドイツ語で話をしていた。

宿のスタッフにバスターミナルへの行き方を教えてもらい、ミクロレット*を乗り継いでターミナルへたどり着いた。着くと客引きがどんどん押し寄せてBaucau行きのバスに半ば強引に案内した。このへんはインドネシアとまったく変わらない。

30分ほどでバスは出発して3時間でBaucauに着いた。途中いくつもの集落が見え、それらはインドネシア側で見た集落とそこまで変わらないが、東ティモール側のほうが伝統的な住居の割合が圧倒的に高く、伝統的な建物だけの集落もいくつかあった。

バスが止まったのは掘っ立て小屋が並ぶ汚いマーケットのようなところでBaucauだと言われた。
とりあえず旧市街の中心の市場の場所を聞くと、そこからはだいぶ遠いいのでミクロレット*に乗れといわれた。ミクロレット*に乗り10分でどうやらこれだろうという建物に着いた。

旧市街の市場Mercado Municipalは市場としては使われてなくポルトガル植民地時代の遺構として修復された建物だった。そこから遠くないはずのホテルの名前を近くの商店で聞くと聞いていたホテルにすんなりたどり着けた。今歩いてきたあたりが旧市街ということらしい。確かに建物は古いが古いというよりは汚い。そして第二の都市にしてはあまりにも小さい町だ。商店が3件、食堂が2件、宿が4件くらいであとは教会くらいしかない。これをみてポルトガル時代の建物と判断できるひともそうはいないだろう。

宿はたぶんコロニアルな建物のひとつに数えられている古い洋館のような建物で、給水が無いので桶に貯めてある水を使うしかなかった。床には塩ビシートのようなものが敷かれていたが、その下の木が腐っているようでところどころ歩くと沈んだ。この宿はUN職員の目には留まらないようで宿泊者は他にはいなかった。

町を歩くと教会で多くのひとが集まっていた。何かの行事のようで民族衣装を来た人が両脇に並び打楽器のようなものをたたいていて、教会からマリア像を載せた神輿のようなものを担いだ人達が出てきた。民族衣装とキリスト教というのがなんともいえないコントラストだ。教会のそとには荷台にたくさんの子供を乗せたトラックが5台くらい並んでいた。マリア像はトラックに載せられ、警察の車が先導して、スクーター、人を満載したトラック、マリア像を載せたトラックの順で隊列を組んで新市外のほうへ向かっていった。マリア像がなければ何かのデモにしか見えないパレードだ。

夕方近くに、宿の息子のバイクを3ドルで借りて新市街を見て周り、町からすこし離れたビーチへ夕日を見にむかった。町は高台にあるのでビーチまでは荒れたオフロードの坂道を何度も曲がりながら降りていった。30mくらいはある巨大バイヤンツリーの下をくぐり、集落を通り過ぎて空が赤みがかったくらいにビーチにたどり着いた。

予想以上にきれいなビーチで先客が二人ほどいた。丘の上には石垣のような跡があり一番上に木が墓標のように刺さっていた。とても静かな良いビーチだ。

* 自分でググりましょう。





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