2016/FEB/5 「オモ・バレー」

オモ・バレーはオモ川を中心とした渓谷で、辺りの村には色々な民族が住んでいる。マーケットが開かれる町まではバスで行けるが、そこから先は車を手配する必要があり、何処に行くかによって時間とお金がかなり必要になるバックパッカー泣かせの観光地だ。多くの旅行者はアルバミンチでツアーを組んで効率よく廻るが、ハイエース一台、運転手付きで1100ドルから120ドルで5日間くらいは必要なので、かなり高額なツアーになる。人数が四人以上いれば、ある程度安くなるが、この3日間でツーリストは見つけることは出来なかった。まー全て車をチャーターすると、目的の村しか見れないし、気に入った場所に好きなだけ滞在することも出来ないので、自力で周ってみることにした。

朝七時に病室へ行き、2回目の狂犬病ワクチンを接種し、ホテルで荷詰めしてバスターミナルへ向かった。まずはジンカへ向かうことにした。何時にバスがあるかは分からなかったが、宿のオーナーは昼前なら何本かバスがあると聞いていた。

バスターミナルに着いて、回りのエチオピア人にジンカ行きのバスを聞くと、ちょうど出発するバスがあり、すぐに乗り込んだ。

アルバミンチからはコンソまで南下し、そこから西のオモ・バレーの町へ向かう。コンソはケニア国境のモヤレに行く道との分岐なので、コンソまでは舗装された道だと思っていたが、完全に未舗装でガッカリした。

ジンカには2時くらいに到着し、バスを囲んだ客引きを無視して、バスターミナルを出ると、子供が付いてきて、「俺は日本人の友達がいる。その友達が一週間ジンカに滞在して、色々な村へ行くのを手伝った」と言ってきた。無視して歩き続けると「友達はシオリと言い、赤い目をしている」と続けた。「!!!」まさかと思って、特長を詳しく聞くと背が低く、髪を所々白く染めているという。最後にシオリンに会ったときは確か髪を白く染めていた。ここまで特長が一致することはそうないだろう。きっと本人だ。子供は「そこのハイアットペンションに日本人はよく泊まる。シオリも泊まっていた」と言うので、とりあえず案内してもらうことにした。

宿は悪くないので泊まることにしたが、水が止まっていた。これは他のホテルも一緒でそのあと3日間は水が出ることはなかった。ジンカの水不足は聞いていた以上に深刻だ。

子供はチェックインが終ると「ムルシ族の村に行くのか?ディメカのマーケットか?」と明日の話を始め、ディメカのマーケットに行きたいと言うと「明日はディメカでブルジャンプもがあるかもしれない。友達がいるから聞いて手配できる」と言った。彼は自分がディメカのマーケットをガイドするからガイド代を欲しいと言った。ブルジャンプは是非見てみたかったので、助かると思いその場で電話して聞いてもらった。するとブルジャンプはあるという。値段を聞くと「分からないから明日までに聞いておく」と言った。「分かった。じゃー明日の朝、バスターミナルで会おう」と伝えて別れた。

村へ行ったり、ブルジャンプを見に行くのは足が必要で、その都度交渉が必要になる。アルバミンチでツアーを組まなかった以上時間はかかっても、安くしたいなーと思った。この子供ガイドが面倒な交渉をいくらか省いてくれればなーと甘い期待をしながら、眠りについた。







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