2016/FEB/20 「エンブのNGO」

マサイマラのサファリからナイロビに戻ると、宿にNGOの人たちの迎えがきた。3日間のサファリでわかった事は、自分はあまり動物が好きではないということだった。

サファリのキャンプサイトで一緒だった若者達と仲良くなって話を聞くと、彼らは皆、アセフというNGOの人達で、短期のボランティアでケニアに来ていると教えてくれた。折角なので休みをもらってマサイマラのサファリに来ていたそうだ。ちょっとNGOの施設を見させてもらえないかと聞くと、一番年上の仁朗くんが、その場でNGOのボスに電話してくれて了承をとってくれた。ちなみにこの仁朗くんは天理教の宣教師で、キャンプサイトにいる時にマサイ選抜とのサッカーで疲弊した足を天理教に伝わる、‘おさずけ’というお祈りで治してくれたマジカルな青年だ。

宿から彼らの車で、そのNGOの本部のあるエンブという町へ走り出した。エンブはケニア山の南東に位置する小さな町だ。これといった観光地もない。エンブに行く途中、車からは一面の田んぼが見え、助手席のスタッフが「ここはJICA20年ほどかけて、田植えを教えて、拓いた田園だ」と教えてくれた。今では、ここの米はブランド米になるほど有名だという。JICAは本当にいろいろな土地でいろいろなことをしている。アフリカでもいろいろな場所でJICAのプロジェクトを見たり、聞いたりしてきた。当然それらすべてが成功を収めているわけではなく、お金と時間を費やしても、ほとんど成果を挙げられてないプロジェクトの話もきいた。ここは数少ない大きな成果を残したプロジェクトなのかもしれない。

エンブの施設に着くと、部屋に荷物を置いて直ぐに車でレストランへ向かった。今日はちょうど数人のボランティアの送別会だったようで、それにそのまま参加することになった。

店に着くと15人くらいがテーブルを囲んでいた。老若男女様々な人がいる。最年少は大学生で最年長は好意的に見ても65はいってそうだ。皆、この人誰?という視線を投げかけてくる。まー、確かにそう思うだろう。自分でも、送別会には参加しなくていいのではと食事中ずっと思っていた。

NGO
を運営しているダイレクターの塩尻さんが最初に挨拶して、ボランティア全員から帰国するボランティアへそれぞれスピーチがあった。なぜかこっちにも順番がまわってきたが、帰国する人達も初対面だし、話すこともないので自己紹介をしてみたものの、皆、旅人には興味薄だ。。。

NGOなので質素なのかなと思っていたが、割りと豪華な食事が出て、ビールもじゃんじゃん注がれた。結果的に訪問のタイミングとしてはベストだったと思った。

その日は施設に戻ってから、みんなで地元のクラブへ繰り出し、戻ったのは朝の4時だった。踊りの苦手な日本人のなかで、ダンス経験者の仁朗くんは黒人に混ざり見事な踊りを披露した。おとなしそうな仁朗くんは、実は踊る宣教師だった。施設の部屋は二人部屋でサファリに来ていた永江くんの部屋の空いてるベッドを使わせてもらった。永江くんもボランティアに来て、まだ間もないのでそんなに施設のことは分からないらしいが、簡単に施設やボランティア達のことを教えてくれた。

明日は何をするのかも分からないが、まー流れに任せよう。




Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...