ナイロビにはアフリカで一番とか、東アフリカで一番大きいと言われるスラムがある。ニューケニアロッジでは、そのキベラスラムを見学するツアーがある。
厳ちゃんとテルくんはそのツアーに行くと言うので、一緒に参加することにした。ツアーと言っても、そのキベラに住む男が迎えに来て、市バスでスラムへ行き、その男がスラムの中の案内をするだけだ。それでも1600シリングも取るのは、皆危険だと思って、ツアー以外では行かないからだろう。
時間になるとラスタマンがやって来て、ガイドだと名乗った。ちょっと大丈夫か?という出で立ちだったが、話すと以外にしっかりしていた。
バス乗り場まで皆で歩いているときに警察に停められて、パスポート提示を求められる。スラムへ行くので貴重品は全て宿に置いてきた。警官はしてやったりという表情で「パスポートが無いなら、警察署まで来てもらわないとならないなー」と言う。宿はそこだから、取って来ると言うと、「それはダメだ。警察署まで行って、取り調べるとかなり時間がかかるなー。よし、一人3000シリングで見逃してやろう!」と笑顔で話した。「いやいや、なんでお金が発生するんだ?おかしいだろ」とつっこむ。
ガイドが宿に連絡して、宿のスタッフが来てくれた。宿のスタッフがどうしたんだ?と聞いたので、わざと大声で「この警官がパスポート所持してないからお金を払えって言うんだよー」と言うと通りの人々は一斉にこっちを振り向いた。警官は「そうは言ってないだろ」と慌てる。「でも、警察署まで行かない代わりに3000シリングと言ったよ」と言うと、警官は宿のスタッフとスワヒリ語で話始めた。しばらくすると、「パスポートは常に携帯するように!」と言って、去っていった。また止められると面倒なので、宿に戻り、パスポートを取ってきた。
キベラスラムはヒルトンの近くからバスで40分ほどで着いた。スラムはかなり広範囲に広がっていて、キベラの中に6つほどの街があった。バスを降りたところで、スラムに住んでいるという、もう一人の男が加わり、歩いてスラムの路地へ入っていった。
道路を歩いているとそれほど汚く見えないが、路地の内はボロボロの家と路地を流れる垂れ流しの排水で不快感たっぷりだった。ガイドはどんどん奥へすすみ、行き止まりの小さな扉から小さな中庭のような空間に入った。そこには彼の働くNGOの事務所があり、ストリートチルドレンを引き取って、住ませている施設があった。施設は他の家同様にかなりボロボロで、雨季に耐えられそうもなかったが、7人いる子供たちは大学を卒業するまで、このNGO面倒を見てくれるらしい。1600シリングというのも、ここへのドネーションだった。
スラムの中の他の街にも歩いて行き、最後にスラムの中を通る線路沿いに歩いて、スラムを出た。線路からはスラムが一望できた。ガイドは「世界銀行が電柱を建てて、スラムに電気を引いてくれたが、電気代が発生するようになった。以前は外の電柱から勝手に引いて来ていたからタダだったのに。スラムの土地も勝手に買われて、今は地主に家賃を払わないといけなくなった。スラムといえどタダではないんだ」と話した。スラムに住む人は皆すごい数の子供がいる。住む場所が足りなくなりスラムはどんどん拡張を繰り返す。100万人とも言われるキベラスラムは今もどんどん変化を遂げている。
厳ちゃんとテルくんはそのツアーに行くと言うので、一緒に参加することにした。ツアーと言っても、そのキベラに住む男が迎えに来て、市バスでスラムへ行き、その男がスラムの中の案内をするだけだ。それでも1600シリングも取るのは、皆危険だと思って、ツアー以外では行かないからだろう。
時間になるとラスタマンがやって来て、ガイドだと名乗った。ちょっと大丈夫か?という出で立ちだったが、話すと以外にしっかりしていた。
バス乗り場まで皆で歩いているときに警察に停められて、パスポート提示を求められる。スラムへ行くので貴重品は全て宿に置いてきた。警官はしてやったりという表情で「パスポートが無いなら、警察署まで来てもらわないとならないなー」と言う。宿はそこだから、取って来ると言うと、「それはダメだ。警察署まで行って、取り調べるとかなり時間がかかるなー。よし、一人3000シリングで見逃してやろう!」と笑顔で話した。「いやいや、なんでお金が発生するんだ?おかしいだろ」とつっこむ。
ガイドが宿に連絡して、宿のスタッフが来てくれた。宿のスタッフがどうしたんだ?と聞いたので、わざと大声で「この警官がパスポート所持してないからお金を払えって言うんだよー」と言うと通りの人々は一斉にこっちを振り向いた。警官は「そうは言ってないだろ」と慌てる。「でも、警察署まで行かない代わりに3000シリングと言ったよ」と言うと、警官は宿のスタッフとスワヒリ語で話始めた。しばらくすると、「パスポートは常に携帯するように!」と言って、去っていった。また止められると面倒なので、宿に戻り、パスポートを取ってきた。
キベラスラムはヒルトンの近くからバスで40分ほどで着いた。スラムはかなり広範囲に広がっていて、キベラの中に6つほどの街があった。バスを降りたところで、スラムに住んでいるという、もう一人の男が加わり、歩いてスラムの路地へ入っていった。
道路を歩いているとそれほど汚く見えないが、路地の内はボロボロの家と路地を流れる垂れ流しの排水で不快感たっぷりだった。ガイドはどんどん奥へすすみ、行き止まりの小さな扉から小さな中庭のような空間に入った。そこには彼の働くNGOの事務所があり、ストリートチルドレンを引き取って、住ませている施設があった。施設は他の家同様にかなりボロボロで、雨季に耐えられそうもなかったが、7人いる子供たちは大学を卒業するまで、このNGO面倒を見てくれるらしい。1600シリングというのも、ここへのドネーションだった。
スラムの中の他の街にも歩いて行き、最後にスラムの中を通る線路沿いに歩いて、スラムを出た。線路からはスラムが一望できた。ガイドは「世界銀行が電柱を建てて、スラムに電気を引いてくれたが、電気代が発生するようになった。以前は外の電柱から勝手に引いて来ていたからタダだったのに。スラムの土地も勝手に買われて、今は地主に家賃を払わないといけなくなった。スラムといえどタダではないんだ」と話した。スラムに住む人は皆すごい数の子供がいる。住む場所が足りなくなりスラムはどんどん拡張を繰り返す。100万人とも言われるキベラスラムは今もどんどん変化を遂げている。