2016/FEB/21 「バオバブの木登り」

朝起きて、永江君とダイニングへ行ったが、誰もいなかった。週末なので皆、まだ寝ているのだろうと、オフィスへ行ってみることにした。オフィスには塩尻さんがいて、挨拶をすると施設のカフェで朝食でも食べようという事になり、朝食をご馳走になった。「よくここで朝食をご馳走になるの?」と永江君に聞くと、「いや、初めてです」と答えた。

塩尻さんは「今日は何をするんですか?」と聞いてきたが、こっちが聞きたいくらいだったので「わかりません」と答えると、「今日、何人かマキマの孤児院に行くから、一緒にいったらいい」と言い、なにやら携帯で指示をだした。たしか昨日、永江君がそれに行きたがっていたが、車に乗れる人数のせいで、行けないようなことを話していた。

実は少し前にそのマキマの孤児院は日本のTVで紹介されたらしい。ケニアのエイズ孤児のための施設でかなり反響があったらしく、それを見て、ボランティアに応募する人が、かなり増えたらしい。サファリに来ていたアリサちゃんという女の子もその孤児院で働くためにきたという。

塩尻さんはかなりのワンマンで思いつきでどんどんプラン変更する。たぶんかなり混乱を招いているはずだが、この施設では絶対的な立場なので、皆、塩尻さんの言動には常に注意を払っていて、中には媚を売っているような態度のスタッフもいる。永江君のように若くて、来たばっかりの人は、他のボランティアにも気をつかい、運営に関わっているスタッフにも気をつかうので、かなり大変そうだ。彼から見れば塩尻さんは神だ。

その神が指示を出したので、あっさりとマキマ行きの車の座席は確保できた。永江くんもいけることになり、喜んでいた。

いける人が増えるということは当然行けない人も出る。昨日、行くと言っていたスタッフは何故か行かないと言い、何とか1台の車に6人納まった。マキマまでは来るまで2時間ほどで、行く途中にバオバブの木がある場所へ寄ってもらえることになった。

ケニアのバオバブは、写真でよく見るマダガスカルのものとは違った見た目をしていて、大きい木ではあるが、マダガスカルのほど胴長ではない。木には蜂蜜を集めるために樽が上げられていて、その樽を上げるための木の杭が幹に何本も刺さっていた。その杭をつたって、木の上まで登ることができ、これがなかなか楽しかった。もうずいぶんクライミングをしてなかったが、このバオバブの木登りはクライミングを思い出させるには十分なスリルがあった。まだ現地に住んでる人にしか知られていないが、観光客に知られれば、一気に人が押し寄せるポテンシャルがあるなーと思った。

マキマの孤児院に着いたのは昼過ぎだったが、施設に着くと、エイズ孤児達が歓迎のダンスを見せてくれた。これはかなり練習を積んでいるようで、すばらしかったが、最後にひとりひとり将来の夢を語るという涙をさそう演出があった。すべての孤児がエイズに感染していて、「みんな夢が叶うまで生きられないのかなー」と泣きそうになったが、今は毎日薬を飲めば発症を押さえることができると後で教えてもらった。

広大な敷地の孤児院は国立公園と隣接していて、丘からは公園を眺められた。ここからは公園の中の川に水を飲みに来るゾウが見られるらしい。さすがケニア、スケールが大きい。
この辺りは乾燥していて、水の確保が大変らしく、あたりに住むケニア人は皆、離れた川まで毎日水を汲みに来ていた。この川では、水を汲む以外にも、洗濯する人、魚をつかまえる人がいたが、腰まで深さがあるのに、対岸から川を渡ってくる人もいた。

エンブに戻るとすでに、薄暗くなっていた。お堂の前を通ると、小学生を集めて塩尻さんが話をしていた。このNGOは元々、天理教が母体だった。数年前に天理教は手を引いたが、塩尻さんを始め、長くボランティアに来ている人は天理教の人が多い。なので施設にも天理教のお堂があり、朝と夕方には勤行があるし、いたるところに天理教のマークがある。この施設の運営する小学校も夕方に天理教の半被を着た塩尻さんが話を聞かせるのが日課だった。

塩尻さんはこっちに気がつくと、お堂の中に入るように言った。壇上に呼ばれて、何かと思ったら、子供達に話をきかせてくれと言いだした。スワヒリ語は話せないと言うと、英語で大丈夫だというので、子供達に今回の旅の話をした。20分ほど話をして、その後、質疑応答の時間まであった。かなりの進学率を誇る、NGOの小学校だけあって、優秀な子供達はどんどん質問をしてきた。いかにも子供らしい質問だったが、旅の予算などお金に関する質問が無かったのは、かなり空気の読める子供達だと思った。旅の話は子供達には新鮮だったようで最後には満場の拍手で見送られた。

その夜、部屋にいると塩尻さんからダイニングに呼ばれ、永江くんと一緒に行くと、お酒でも一緒に飲もうと飾ってあったワインとウイスキーを出してくれた。塩尻さんは旅の話のお礼をいい、かなり上機嫌に見えた。塩尻さんは旅のことをいろいろ質問し、その後、今すすめているダチョウファームや消防士学校の話をしてくれた。きっと、ここには旅人が来ることはないのだろう。永江君はまた「こんなこと初めてです!」と部屋に帰ってから言った。短い期間だったが、ずいぶん塩尻さんと仲良くなった気がして、うれしかった。













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