2016/JAN/23 「ソマリランドシリング」

ベルベラからのバスは朝の8時でバスターミナルの近くで朝食をとる時間があった。エチオピアにいたときはバスは大抵5時発だったので、朝食は食べれなかった。食堂で何があると聞くと肉野菜炒めのようなものが出てきた。インジュラのようなグレープがあったので紅茶をかけずにそのままくれと頼んだ。何も言わなければきっと紅茶に浸かったべちょべちょのが出てきただろう。ベルベラもハルゲイサ同様、べチャパンが朝食の定番のようだ。

バスは11:30にハルゲイサに着いた。ボラメ行きのバスがあるか聞くと午後2時にあるというのでチケットをすぐに押さえた。ハルゲイサに1泊しないとダメかと思っていたので良かった。

どうも今朝からシリングで会計をするとドルよりも安くなっていた。おかしいなと思い、通りの両替屋でドルレートを聞くと6000まで下がっていた。2日前まで7500だったのが1500も下 がったことになる。ドルに対していきなり2割もの上昇だ。ソマリランドの記念にソマリランドからハガキを出そうと郵便局を探すとソマリランドには郵便局は無いことが分かった。ハルゲイサにはDHLがあり、そこから郵送は可能だと言われたが一番小さな小包扱いになり、ハガキ1枚日本に送るのに58ドルと言われて諦めた。DHLのスタッフは恐らくハルゲイサ一で一番英語が上手く、ドルレートについてきくと、昨日政府が7500から6000に変更したと教えてくれた。国内でしか流通してなく、他の国では紙くずのソマリランドシリングは政府がレートを決めてるようで、政府の一声で翌日にはドルに対して2割も高くなるという恐ろしい通貨だ。ベルベラに行く前にもっと替えておけば良かったと思ったが、既に時は遅しだ。

ハルゲイサからボラメは2時間半くらいで、着くなり警察署に連行された。警察署は言われなければ分からないくらいに民家で、署員も言われなければ分からないくらいに村人だった。ソルジャーが必要と言われたが、観光省からのレターを渡すと「オッケー。ユー  ドンニード ソルジャー」とすぐに意見を変えた。レターを貰っておいて良かった。

ゼイラまでの道は未舗装でバスは無く、乗り合いのランクルだと聞いていたので、トゥクトゥクで乗り場へ向かう。広場のような場所にランクルが4,5台停まっていて、トゥクトゥクが広場に入ると大勢の客引きがトゥクトゥクにしがみついてきた。誰がランクルの運ちゃんが全く分からないが、一気に囲まれて、「何処へ行く?ジプチか?」と聞かれる。「どれが今日出るんだ?」と聞くと一人の男が「こっちだ」と言って、奥に停まっている古いランクルまで案内した。どのランクルにもほとんど人が乗ってなく、ホントに出るのかな?という感じだ。

ランクルの中にバックパックを入れて、出発を待つことにした。ソマリチャイを飲んで、子供たちと遊びながら二時間ほど待ったが、一向に出る気配はない。他に客はいなさそうだし、運ちゃんは車の塗装を始めてしまった。今から塗装して乾くはずないだろと思ったが、案の定、後で「ヤッパリ修理が必要で今日は出れない」と言い出した。

他のランクルが一台だけ出発するらしく、紹介してくれたが、彼らのマージンが載っているのか40ドル以下には下がらない。どうやら最初に間違った車に行ってしまったようだ。多分、人が集まらなければ車は出ない。ある程度人数が集まっている車の運ちゃんに交渉しないとダメだ。諦めてボラメに1泊することにした。

明日の朝にランクルが出るというが、それも怪しい。一台のランクルに運ちゃん込で15人乗せるいう。朝にそんな人数集まるわけない。嘘つきソマリ人だ。ソマリランドに入って読み始めた高野秀行の著書「謎の独立国家ソマリランド」ではソマリ人のことが、あまりよく書かれていなく、これまでの体験とはすこしギャップを感じていたが、ここに来て、本に書かれているソマリ人と現実の印象がだいぶかぶってきた。








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