2016/OCT/21 「オプウォの民族巡り」

昨夜、JICA隊員達と分かれて、宿に戻ると、車でナミビアを旅してるフランス人四人組がキャンプをしていた。話しかけると、着いたばかりで、明日どうするかわからないけど、ヒンバの村には興味があるので朝に相談をしようと言って寝床についた。

朝起きるとフランス人達は朝食の用意をしていた。彼らの車には屋根上に折り畳み式テントが2つ付いていて、そこで四人が寝られる。また大きなガスタンクもあり、何処でも火を使った調理が可能だ。食器やら鍋やら何でも揃っていて、3週間を車で過ごすというが苦はなさそうだ。

彼らはまだガイドを探してないと言うので、昨日町で会ったエリザベスを紹介するので一緒に車で連れて行って欲しいというと、快諾してくれた。朝食を食べ終わってから、エリザベスに連絡を入れ、「合計5人になり、車もある」と伝えると「お店に来てくれれば直ぐにでも出発できる」と答えた。

準備を整えてから、フランス人達の車でエリザベスの店に向かった。ヒンバの村の訪問の費用を確認すると、ガイド代が1100NAD740円)、村へのお土産が、ヒンバ族、ヘレロ族合わせて250NAD1,850円)でいいと話した。もうひとつ、オアハカオネというアンゴラからやって来た民族にも会いに行くのだが、彼らはヒンバの村の近くに住んでいて、ヒンバの村に行けば、察知してやって来るらしい。この辺はエリザベスが、年月をかけて作り上げた民族巡りのやり方なのだろう。合計750NAD5,550円)なので、ひとり150NADとかなり安くなった。

村へのお土産は、トウモロコシの粉、砂糖、食パン、キャンディなどのスイーツだ。お土産というのが、お金を渡すよりは遥かに気分がよい。このあたりのやり方がどうやって作られたかは興味深い。

買い物が終わるとエリザベスを乗せて、村へ走り出した。オプウォの町を出ると、直ぐに未舗装の道になり、20分程でヒンバ族の集落に着いた。土壁と三角の茅葺き屋根の家が幾つかある。家の影にヒンバ族の女性が鍋を火にかけて、子供と座っている。ヒンバ族の女性は編んだ髪の毛に赤い泥を塗り込んで固めていて、赤い粘土のような、筒状の塊が何本も頭から垂れ下がっている。さらにその先に黒い毛のような物を付けていて、遠くから見ると、毛皮の襟巻きのようにも見える。身体にも満遍なく赤土を塗っていて、黒人というか赤人だ。既婚の女性は動物の皮でできた、冠のような物を赤土で頭の上に固定している。

「モロー」とエリザベスに習った挨拶をすると、「モロー」と返ってきた。さすがにエリザベスの知り合いの村だけあり、町のヒンバよりフレンドリーだ。子供が沢山いて、写真を撮って見せると、もっと撮って見せてくれとドンドン寄ってきた。大人の女性も写真を見せると喜んだ。町では撮ってもないのに、カネよこせと言われるが、ここでは写真にもいたって普通に応じてくれ、カネをくれと言う人はいない。まーこのあたりはエリザベスが、ツーリストを連れてくるのに事前説明があったのだろうが、それでも全員が全員、一切お金や物をねだったりしないのは、素晴らしい。エチオピアのムルシ族たちに見せてやりたいくらいだ。

すると、村の外から髪型の違う人達が続々とやってきた。エリザベスは彼らの事をアンゴラと呼ぶが、彼らがオアハカオネ族に違いなかった。ベンバ族という人もいるが、この辺りが、話す人によって言うことが違って、良くわからなかったが、多分ベンバはまた別の人達だ。

オアハカオネの女性は、ヒンバ族のように体に赤土を塗らないので、肌は黒い。髪の毛をオデコの辺りで何かで固めて、大きな黒い固まりのようにしていて、後ろは何本にも編んでいる。彼女たちもけしてお金とは口にしない。

この2つの民族は見た目にもインパクトが強く、フランス人達もかなり感動していた。暫くすると、家の中を見せてくれ、ヒンバ族のお香の使い方や、赤土の塗りかたを見せてもらい、トウモロコシを粉に引くのを手伝ったりした。

お昼近くになり、日差しが強くなり、もはや日陰から誰もでなくなり、しんどくなってきたので、そろそろヘレロ族の村へ行こうということになった。

ヘレロ族の村は、15分くらいで到着したが、あまりの暑さに外を歩いている人は殆どいない。建物の影に数人が座っているだけで、ヒンバ族ほどウェルカムな感じもない。ヘレロ族の女性は、昔はヒンバのような格好だったらしいが、ドイツが植民地にした後に、ドイツ人からの影響で、ドレスを着て、ハンマーヘッドシャークのような帽子を被るようになった。家の中もコロニアルな雰囲気の棚が置いてあったり、結構モダンだ。

一人の女性の家の中を見せてもらい、フランス人の女性陣はドレスを着せてもらったりしていた。その横でエリザベスは断りなく冷蔵庫のビールを一人で開けて飲み始めた。家の人とは、きっと堅い絆で結ばれているのだろう。


この時間になると暑さで皆へばってきた。ヘレロ族の村の滞在は、早めに切り上げてオプウォで飯を食べることにした。オプウォで唯一の綺麗なレストランで少し遅いランチを取り、良く冷えたビールを飲んだ。この乾燥した暑さの中で飲む冷えたビールは信じられないくらいうまい。宿に戻ってシャワーを浴びてから、冷蔵庫で冷やしておいたワインを飲み、さらに夕方JICA隊員と、オプウォの丘の上に立つ、高級ホテルのテラスで夕日を眺めながら、生ビールを二杯飲んだ。こんなに酒を飲むのはウガンダ以降なかったことだが、オプウォでは酒がすすむ。ヒンバ族も酔っ払いだらけになるわけだ。









































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