ヌングイからストーンタウンへ戻った後、1泊してからザンジバル島の東海岸ビーチ沿いのパジェへ行くことにした。ヌングイには日本人オーナーのサオリさんが経営するパラダイス ビーチ バンガローという宿があると聞いていたが、値段が高いのですぐ隣のサマードリーム ロッジに泊ることにした。
サマードリーム ロッジは快適だったが、ここもけして安くはないので、2泊で出ることにした。タンザニアの雨季にあたる4月のパジェでは結局、青空を見ることはなかった。グレーがかった空の下、大陸からやってきたマサイ族がビーチでいつものビーズアクセサリーを売る景色は悪くはなかったが、ビーチで毎日眺めるほどでもなかった。サマードリーム ロッジにはエジプトからのアフリカ南下中に会ったトモキ君、チアキちゃんと岡田さんがいて、合流となった。 岡田さんとはカイロぶりの再会だった。
チアキちゃんはパジェの南にあるジャンビアーニの元日本人宿のオーナー、ハジさんが、今はブウェジュで、旅人を自宅に泊めて料理を振舞っているという情報を持っていた。ちなみにジャンビアーニの宿は、今、別の人が経営していてまったくよくないらしい。彼らはハジさんに連絡を取り、今日ハジさんの家に移動するというので、一緒に行く事にした。
あいにく外は大雨だったので、皆でタクシーを呼んだ。事前に連絡していたハジさんは、息子とどしゃ降りの中、途中まで歩いて迎えに来てくれていた。二人とも傘もささず、びしょ濡れだったので、タクシーに乗ってもらい一緒に家に向かった。
チアキちゃんはパジェの南にあるジャンビアーニの元日本人宿のオーナー、ハジさんが、今はブウェジュで、旅人を自宅に泊めて料理を振舞っているという情報を持っていた。ちなみにジャンビアーニの宿は、今、別の人が経営していてまったくよくないらしい。彼らはハジさんに連絡を取り、今日ハジさんの家に移動するというので、一緒に行く事にした。
あいにく外は大雨だったので、皆でタクシーを呼んだ。事前に連絡していたハジさんは、息子とどしゃ降りの中、途中まで歩いて迎えに来てくれていた。二人とも傘もささず、びしょ濡れだったので、タクシーに乗ってもらい一緒に家に向かった。
ハジさんの家はブウェジュという村の幹線道路から徒歩5分のところにあり、キッチン、ダイニング、ハジさんたちの部屋ともう2つベッドルームがあり、わりと綺麗で快適に見えた。キッチンもあったが、ガスはなく、炭での調理だった。ブウェジュも目の前はビーチだったが、このところ天気は連日の雨で、せっかくビーチに来ても外には出られなそうだった。4月のザンジバルは本当に雨だらけだ。
ハジさんは7000シリングで夕飯と朝食を作ってくれると言うので、頼むことにした。ハジさんが、魚を調達しに、村の漁師の家に行ったが、手にはいったのはタコだけだった。連日の雨で漁は行われてなさそうだった。パジェもブウェジュも小さな村なので市場すらない。野菜は小さな商店で買い、魚は漁師から買う。ヌングイのほうが、まだ、たくさんの魚が見れた。
ハジさんは7000シリングで夕飯と朝食を作ってくれると言うので、頼むことにした。ハジさんが、魚を調達しに、村の漁師の家に行ったが、手にはいったのはタコだけだった。連日の雨で漁は行われてなさそうだった。パジェもブウェジュも小さな村なので市場すらない。野菜は小さな商店で買い、魚は漁師から買う。ヌングイのほうが、まだ、たくさんの魚が見れた。
ハジさんは器用に木炭に火をつけ、買ってきたタコとマンゴーのトマトソース炒めを作った。ジャンビアーニの宿でハジさんの料理を食べた旅人は絶賛していたが、かなり塩辛かった。まーここに限らす、アフリカの料理は味付けが日本人には濃いのでしかたないのかもしれないが、食べ終わるころには、皆で、明日からは自炊しようと意思を固めていた。