2016/MAY/4 「本当にあったコモロ行きの船」

朝6時に船はダルエスサラームに到着した。外はちょうど明るくなり始めたところだった。船を降りて、フェリーターミナルを出ると外には朝から客引きが待ち構えていた。こんなに朝早くからご苦労なこった。

宿にチェックインし、疲れていたので少し横になった。疲れが取れないが10時過ぎに起きあがった。コモロ行きの船を調べなければならない。まず、ザンジバルにいたときにネットで調べた海運会社、7社ほど電話をしたが、どこもコモロへの船は無いと断られていた。船が見つかる可能性はかなり低そうだ。

電話をしていたとき、海運会社の殆どは住所がオーシャンビュータワーという建物になっていることに気がついた。きっとこの建物はダルエスの海運会社が集中しているビルに違いない。この建物に行って直接会社を聞いて回れば、見つけることができるのではと思った。

宿の前の屋台でタンザニアに入ったときに食べまくっていた、懐かしいフライドポテト入りオムレツを食べてから、港の方へ歩き始めた。実は地図で調べたが、このオーシャンビュータワーは見つけられなかったので、海岸沿いの高い建物を端から調べようと思っていた。ところが海岸通りに着く前に雨が降り始め、近くの建物の庇の下に入り見上げると、偶然にも、目の前の建物にオーシャンビュータワーと書いてあった。こんなこともある。

中には調べていた以外の海運会社も入っていて、上の階から順番に攻めていくことにした。八階、七階、四階と周り、コモロ行きの船を聞いてまわった。しかし、どこもコモロ行きの船は無いという。四階からは大きな吹き抜けがあり、そのまわりにも海運会社が数社見えた。Wasokという海運会社に入ると、レセプションには大きくNYK(Nippon Yusen Kaisha)と書かれていた。じっと見ているとレセプションのオッサンは、「日本人か?」と聞いてきて、「そうだ」と答えると、「ここは日本の海運会社の現地エージェントだ」と教えてくれた。「コモロ行きの船は無いが、知ってるやつがいる」といい、そこにいたもう一人の男が電話をはじめた。男は船のオーナーをここに呼ぶから待てと言った。しかし、暫く待っても現れず、港へ行ってみることになった。なにより、本当にコモロへ行く船があるなら、見てみたかった。何しろ今までさんざん調べても、ダルエスからコモロへの船に乗ったという情報は出てこなかった。あったのは、十年以上前にザンジバルからコモロへの船に乗り、マダガスカルへ渡ったという情報だけだった。

ザンジバル行きのフェリーターミナルより、南へ10分ほど歩いた所に港へのゲートがあった。入り口でセキュリティにその男が話をして、オーナーを呼んでもらう事にした。少しすると、インド系の顔つきの男が現れた。アミンと名乗った。彼は今週の土曜日に船は出ると言う。3日後だ。値段は330,000シリング。136ドルくらい。思ったより高い。

男はそのまま、何処かへいこうとしてたので、連絡先を聞いて、船を見せてくれと頼むと、セキュリティに話をしてくれ、ゲートの中に入れた。ただし、パスポートはゲートで預ける必要があった。

中には何隻か船が停まっていたが、どれもそんなに大きくなかった。一番奥に三隻、並列で停泊している船があり、アミンの船は一番奥だった。その船は漁船に毛が生えたくらいの船で、ギリシャからイスラエルへ乗ったコンテナ船の百分の一も無かった。しかも、かなりのオンボロで、室内空間も殆ど無さそうだ。階段で2階に上がると、船長室があり、船長がいた。値段と出航日を確認すると、300,000シリングで金曜だと言われた。アミンの話と少し違うが、安くなる分には歓迎だ。

キャビンは無いと言われ、2階のデッキの床に寝ろと言われた。マットレスを貸してくれると言うが、汚れが酷く、いかにも虫の温床になってそうだ。クルーは英語が通じず、フランス語かスワヒリのみだ。これで34日はしんどい。何よりこの船が外洋で耐えられるのか、本気で心配だ。デッキで寝るので波がくれば、ずぶ濡れだし、波にさらわれかねない。

取り合えず、考えるとだけ伝えて、船を後にした。ホントにこれでコモロへ行く旅人がいたのか、すこし信じられなかった。出航まで3日あるのでよく考えて決めよう。


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