ナンプラからクアンバへの道は主要な道なのに6割が未舗装だった。さらにそこからリチンガまでは全て未舗装で、ナンプラから16時間もかかって、真っ暗闇の中、全く情報のない町に着いて宿探しをするはめになった。やたらと野犬が多い町で、夜に着くべきではなかった。
翌朝、乗り合いバンでメタングーラまで行き、そこからはトラックの荷台で四時間半かけて、コブエまでたどり着いた。トラックは米やら砂糖やらの荷物を敷き並べ、その上に乗客の荷物を載せ、最後に乗客を載せて走り始めた。四トントラックの荷台に20人くらいが乗った。しかも殆どは太っちょのオバちゃん達で、赤ん坊を抱えたひともたくさんいる。荷物の上は既に荷台の柵より高く、ギュウギュウに乗り込んだ乗客の端の人は荷台から足を投げ出して、荷台端に座る感じだった。
すこしでも揺れると落ちそうになるし、自分の事しか考えない太ったオバちゃん達が、ドンドン押してくるので危険きわまりない。こっちも負けずに押し返すと、スゴい血相でポルトガル語で文句を言ってくる。周りはかなり険悪ムードだ。そりゃー落ちたらただでは済まないので、みんな必死だ。
幸い未舗装の道はわりかし平坦で、砂糖の袋の角に指を引っかけて、体を支えてなんとか耐えていた。オバちゃん達は知らない顔が一人いるなーみたいにこっちをジロジロ見てくるし、ポルトガル語で何やら相談してる。
しばらくして、押し合いへし合いが続くと、真ん中に方に乗っていたオバちゃん達が、こっちに向かって、「ボ、ツ、ワ、ナ!」と言ってきた。「ボツワナに帰れ!」といったニュアンスだ。どこをどーみたらボツワナ人に見えるのかは不明だが、この辺りはかなりの辺境で、見たことない人をすこし離れたボツワナだとかってに思っているのかも知れない。勿論ここから遠くに行ったことのない彼女たちにボツワナ人がどんなだか知る余地はないが、ひょっとしてカラハリ砂漠のサン人などの狩猟民俗のことを言っているのかも知れない。そうだとすれば、彼女たちは狩猟民俗を見下して、悪口として言ったのかも知れない。
いつの間にか太陽は低くなり、終いには沈んでしまった。また暗がりの宿探しだ。
トラックはマラウィ湖の手前の建物が幾つか建っている場所で止まり、そこがコブエだった。隣に座っていたオバさんとはカーブの度に押し合いになり、最後は二人とも落ちないことに必死で笑うしかなかった。そうなるとオバさんはいいやつになり、着いた頃には宿の場所を教えてくれたり、船の時間を教えてくれたりとスゴい親切になっていた。やはり人は苦楽を共にすると解り合えるものだ。
トラックの乗客の半分は降りずに、この先、三、四時間ほどの町まで今日進むという。ご苦労なこった。こっちはこの二日の移動で既にケツが痛くて、もうしばらくトラックは勘弁だ。モザンビークの移動はなかなか大変だ。
翌朝、乗り合いバンでメタングーラまで行き、そこからはトラックの荷台で四時間半かけて、コブエまでたどり着いた。トラックは米やら砂糖やらの荷物を敷き並べ、その上に乗客の荷物を載せ、最後に乗客を載せて走り始めた。四トントラックの荷台に20人くらいが乗った。しかも殆どは太っちょのオバちゃん達で、赤ん坊を抱えたひともたくさんいる。荷物の上は既に荷台の柵より高く、ギュウギュウに乗り込んだ乗客の端の人は荷台から足を投げ出して、荷台端に座る感じだった。
すこしでも揺れると落ちそうになるし、自分の事しか考えない太ったオバちゃん達が、ドンドン押してくるので危険きわまりない。こっちも負けずに押し返すと、スゴい血相でポルトガル語で文句を言ってくる。周りはかなり険悪ムードだ。そりゃー落ちたらただでは済まないので、みんな必死だ。
幸い未舗装の道はわりかし平坦で、砂糖の袋の角に指を引っかけて、体を支えてなんとか耐えていた。オバちゃん達は知らない顔が一人いるなーみたいにこっちをジロジロ見てくるし、ポルトガル語で何やら相談してる。
しばらくして、押し合いへし合いが続くと、真ん中に方に乗っていたオバちゃん達が、こっちに向かって、「ボ、ツ、ワ、ナ!」と言ってきた。「ボツワナに帰れ!」といったニュアンスだ。どこをどーみたらボツワナ人に見えるのかは不明だが、この辺りはかなりの辺境で、見たことない人をすこし離れたボツワナだとかってに思っているのかも知れない。勿論ここから遠くに行ったことのない彼女たちにボツワナ人がどんなだか知る余地はないが、ひょっとしてカラハリ砂漠のサン人などの狩猟民俗のことを言っているのかも知れない。そうだとすれば、彼女たちは狩猟民俗を見下して、悪口として言ったのかも知れない。
いつの間にか太陽は低くなり、終いには沈んでしまった。また暗がりの宿探しだ。
トラックはマラウィ湖の手前の建物が幾つか建っている場所で止まり、そこがコブエだった。隣に座っていたオバさんとはカーブの度に押し合いになり、最後は二人とも落ちないことに必死で笑うしかなかった。そうなるとオバさんはいいやつになり、着いた頃には宿の場所を教えてくれたり、船の時間を教えてくれたりとスゴい親切になっていた。やはり人は苦楽を共にすると解り合えるものだ。
トラックの乗客の半分は降りずに、この先、三、四時間ほどの町まで今日進むという。ご苦労なこった。こっちはこの二日の移動で既にケツが痛くて、もうしばらくトラックは勘弁だ。モザンビークの移動はなかなか大変だ。