2016/JUN/3 「Dancing at own risk」

朝、七時半に開くと皆が口を揃えて言っていたイミグレは、特に悪びれた素振りもなく八時半やって来た。待っている間、コブエ唯一の食堂にチャイを飲みに行くと、昨日のトラックの荷台で押し合ったオバちゃん達がパンとチャイの朝食を取っていた。皆と「おう!」的な会釈をする。皆マラウィへ向かうようだ。

イミグレで出国スタンプをもらい、徒歩一分の船着き場に行く。作りかけの桟橋のようなものがあるが、舟は小舟なので砂浜から出るようだ。乗客の半分以上は昨日のトラックで一緒だったので、何処か安心感がある。タイパンツを捲し上げて、湖に入り、舟に乗り込んだ。

舟はモーター付きなので、問題なく着きそうだ。水面も静かで、朝日が気持ち良い。途中少し離れた砂浜で人をピックアップしてから、マラウィのリコマ島へ向かう。乗客は持っていたペットボトルを湖の水の中に沈めて、その水を飲み始めた。たしかマラウィ湖にはアフリカの他の湖同様、住血吸虫がいるはずだか。。。

一時間くらいでリコマ島の砂浜に着いた。周りに聞いてイミグレに行ってみると、イミグレの建物はなく、スタッフが、屋根のしたで腰壁の上面に書類を置いて、ノートを下敷きにして、スタンプを押している。椅子さえもないので、立ちっぱだ。ここでヴィザが貰えるのだろうか不安になったが、聞くと肩にかけたバッグから封筒を取りだし、その中からヴィザのシールが出てきた。ここのイミグレは彼の肩掛けバッグの中に必要書類は収まっていて、何処でも入出国審査可能だ。こんなフリーアドレスなイミグレは見たことない。新しいタイプの入国審査だ。

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ドルを払い、ヴィザを貰い、町を歩き始めた。ここもかなり不便そうなところだ。モザンビーク側に比べれば店は多いが、物の種類は少なそうだ。何よりATMが無かった。

イミグレから一キロくらい歩いた所に最初の宿を見つけて、なにも考えずそこに決めた。通りのバーでは日中から大音量の音楽が流れていたが、宿の前には湖があり、値段も4000クワチャ(623)と安く、悪くなかった。

なんとか両替をしようと宿の人に連れられて浜辺にきた。コイツに話せと言われて、腹のでた携帯を握りしめた男に100ドルほど両替をしたいと頼んだ。男は「65,000クワチャだ」と言った。公定レートは1ドル699クワチャなのでかなり悪いレートだ。どうやらこの男は一緒にいる四人とここを訪れているケニア人で、ここに住んでるわけではないようだ。「公定レートは699だ。それで替えてくれないか?ドルの方が役立つよ」というと、69,000クワチャになった。「69,500にしてくれ」と頼むとダメだと言ってソッポを向いてしまった。他の男達は籠に大量の紙パックに入った飲み物を持っていきいて、それを開けて飲み始めた。

一緒に飲め!と言われて、らっぱ飲みしてみる。まったく美味しくないし、アルコールもかなり低そうだ。男はそれに牛乳を混ぜてから振って、こっちにまたよこした。明らかに旨くなるわけがなかったが、想像通り元々の酒と同じくらい不味かった。男達は一人一本その紙パックの酒を持って、絶えず飲み続けている。どうやらいつの間にか和に入っていたようで、皆から酒が回ってくる。

「パガ ムズング!」と言って大笑いしている。その意味を聞くと酒を飲むときにいう言葉らしく、「白人野郎飲みやがれ」といった感じのようだった。隣の男は「俺たちはこのあとダンスを始めるぞ」と言い、「アフリカではDancing at own riskだぞ!」続けた。よく意味が分からないが、気を付けろという事だろう。

他に両替をしてくれる人を探しに行かないといけないからと立とうとすると、腹の出た携帯が、「69,500クワチャでいいよ」と折れてくれた。じゃーもう少し飲んでいこうということになり、その不味い牛乳入りの酒を回し飲みした。酒の入った隣の男はまた「アフリカではDancing at own risk」と言った。まだ誰も踊ってないのに。









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