2016/JUN/6 「マティアス」

リコマ島に到着したときからずっとついてきた怪しげなおじさんマティアスは、毎日宿にやって来た。彼は朝に宿にやって来ては「今日はどこに行くんだ?村を案内してやる」など、話を始め「じゃー、午後一時に迎えに来る」と勝手に話しては帰っていき、本当に午後やってくる。

昨日はマティアスの親戚巡りをして、今日は親戚巡りの続きをすることになった。何がしたいのか分からないので、取り合えず彼のやろうと言うことに従うことにしていたが、親戚巡りといっても、宿からイミグレの間の集落は殆どマティアスの親戚だ。総勢200300人くらいはいる。少し離れた所にも幾つか親戚の家があったり、とにかく多い。まー島の暮らしは親戚同士が近くに家を建てて、助け合い、それ自体が村のようになって、息子の代、孫の代とどんどん大きくなっていくのだろう。そして今ではここら一帯がマティアス村になったわけだ。

今朝、マティアスが宿に来ると「今日は昼飯を家で食おう」と言って、ポリバケツに入った大量の小さな魚を見せてきた。浜辺でたくさん干してるやつだ。この煮干しほどの大きさの魚がこの島唯一の現金調達元で、干した物をマラウィ内の都市に売っている。もっと大きな魚を捕れば良いのにと思うが、大きな魚は網に偶然かかったものを島民に売る程度らしい。実際、村には魚市場らしきものもない。島から他の都市に生魚を売りに行くのはかなり大変なので、保存のきく干し魚の方が輸送や販売が楽なのだろう。

12
時半にマティアスは宿に迎えにやって来た。それから浜辺を歩いて彼の集落へ向かい、彼の家ではなく、他の親戚の家に入った。中には比較的綺麗なテーブルセットがあり、子供達が三人と大人の女性がいた。席に着いて、桶で手を洗うと、奥から大量のシーマと干し魚を煮たものが入った小さな鍋が出てきた。干し魚には微かにトマトが入っているが、あとは一切野菜はない。たったこれだけのオカズでこの量のシーマを食べるのは、ペース配分に高度な戦略が必要だ。やはり、現地人の暮らしはかなり質素なのだ。コップに冷えた水をいれてくれた。湖の水だろうなと思ったが、「よし、飲もう!」と勢い付けてから笑顔で一気にいただいた。

ご飯が終わると今日もマティアスの親戚巡りの続きになり、最後には工事中の彼の家に行って、奥さんにも会った。「そろそろ宿に帰るよ」と言うと、「フェリーが出る時間に見送りにいく」と言った。「いや、フェリーは何時になるか分からないからいいよ」と断ったが、行くといって聞かなかった。

夜の8時とか9時とか聞く人によって前後するフェリーの時間は、実際には11時だった。マティアスは本当に見送りに来た。フェリーは大きいので浜辺には着岸できないので、小舟を寄越して、浜辺から乗客を順番でフェリーに運ぶ。これを真っ暗闇のなか行うので、何処か密航のようだ。小舟にはすぐに現地人が殺到し、なかなか乗れない。マティアスが荷物を担いで「こっちだ!」と走り出した。暗闇で見えないが小舟が向こうに着いたようだ。アフリカ人の目は暗闇でも動物並みに機能する。ところが小舟に乗り込もうとすると船はどんどん進んで、マティアスのみを乗せて闇に消えていった。周りの人達が「すぐに来るから待て」と言うので、しばし待機。次に小舟が浜辺に来た瞬間に飛び乗った。小舟がフェリーに横付けされて、階段を上がるとマティアスはなぜか手錠をかけられていた。多分泥棒の疑いをかけられたのか、駆けつけると無事に解放された。荷物を運んでくれたのに泥棒に間違われてしまったマティアスはあまりにも不幸だが、マティアスは笑顔で小舟で浜辺に戻って行った。かなり疑ってしまったが、本当にいいヤツだった。マティアス、ありがとう。
















Recomend Posts

2017/APR/21 「最後の町」

日本へ帰る便は土曜日の昼にマドリッド発だったので、マドリッドには泊まらずトレドで 2 泊して、土曜の朝に直接空港へ向かうことにした。 マドリッド、トレド間は 30 分おきにバスがあり交通の便がよい。 トレドはスペインの有名観光地で、とても綺麗な町だ。スペインには何度も来てい...