2016/APR/12 「和崎よういち」

エンボのNGOのダイレクター塩尻さんが、タンザニアに行ったら、是非、ブッシュマンを見に行ったほうがいいと勧めてくれた。ブッシュマンは狩猟民俗でイヤシィ湖の近くのマンゴーラという村の近くに住んでいるらしい。そこには昔、日本人の和崎さんという人類学者が住んでいたという。和崎さんは日本で初めてのスワヒリ語辞書を作った人だ。7年前の旅の時にパキスタンでその人の本を読んだ事があったのを思い出した。「その人の本を読んだことがある」と言うと、塩尻さんは「和崎さんはもう亡くなったが、孫がまだ、タンザニアに住んでいる」といい、彼はブッシュマンの言葉が分かるので、塩尻さんがブッシュマンを訪れた際にガイドをしてもらったと話した。塩尻さんはその場で、和崎さんの孫に電話してくれ、1ヶ月か2か月後に田付という日本人が訪れると伝えてくれた。

カハマからアルーシャへのバスは暗くなる前に着いたので助かった。バスから降りると大勢の客引きが群がってくる。無視したその場を離れ、調べていたArusha back packersに向かった。他の旅人が大絶賛していた宿は、確かに綺麗で快適だが、ドミで一泊20,000シリングと高かった。

キガリからここまで2泊3日の移動だったので、疲れで夕飯を食べるとすぐに寝てしまった。

翌日、もう少し安い宿を探して、斜め前の宿に移った。ここはサファリの勧誘がしつこく、ホテルへ案内するという客引きにツアー会社に連れて行かれた。カハマの宿のTVで、NHK worldが受信でき、たまたまやっていたンゴロンゴロ クレーターのドキュメンタリーを見て、これは行くしかないと思っていたので、値段を聞くとンゴロンゴロだけの日帰りだと、他のツーリストのツアーにその日だけ加わる形でも、180ドルとのことだった。

携帯のSIMカードを買い、和崎さんの孫に電話をすると、英語で返答があり、つながった。夕方にホテルまで来てくれることになり、そこで話をすることになった。

夕方にホテルへ戻り、部屋でくつろいでると、和崎さんの孫は宿に移ったやって来た。孫はタンザニア人とのクォーターなので、見た目はほぼタンザニア人だ。片言の日本語と英語、スワヒリ語を駆使して話をする。これが和崎さんの孫かーと眺めると彼は不思議そうな顔をしている。どうやって、ブッシュマンの住む場所へ行けるか聞くと、「今は仕事がないので一緒に行ける」という。「普段、仕事は何をしてるの?」と聞くと、「アルーシャの工事現場で働いている」と答えた。彼はアルーシャから30kmほど行った町に住んでいて、父親はダルエスにいるらしい。工事現場で働いているのも、どうやら日雇いで、アルーシャで工事があるときに現場で仕事を得ているという感じだ。塩尻さんもダメなやつだと言っていたが、確かにかなり頼りない。

彼はブッシュマンの住む森までは、まずアルーシャからバスでカラトゥまで行き、そこから乗り合いジープでマンゴーラ村に行き、そこからバイクタクシーだと言った。交通費は片道15,000シリングくらい、マンゴーラ村のあるイヤシィ湖周辺は入場料が5ドルかかり、ブッシュマン訪問には彼らに50ドル払う必用がある。ガイドも雇う必用があるが、彼と行けば、ガイドは不用。ただし、彼の交通費、宿泊費、食費を払ってやる必用がある。さらに彼はチップを欲しいといい、塩尻さんや友達を連れていった時は100ドルくらい貰えると話した。これは値切っても30ドルまでしか下がらなかった。「自力で行けるの?」と聞くと、「現地でガイドを雇う必用がある」と言うので、明日また連絡をすると言って別れた。思っていた以上の出費だ。何より、彼がケニアの父親と崇める塩尻さんからの紹介の割には、経費以外の金を取るのが微妙に感じた。

折角だし、和崎さんの孫に案内してほしかったが、自力で行ったほうが良さそうだ。和崎さんの孫は、偉大なお祖父さんとはなかなかイメージが結び付かないかなり普通のタンザニア人青年だった。






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