2015/AUG/1 「民泊」

ようやくラダックの標高にも慣れてきたのでラダックで一番有名なへミス・ゴンパを見に行くことにした。レーの周辺にはいくつもゴンパがあり、そこまで遠くないのでレーを拠点に周ることができる。ただし、公共の交通機関が貧しく、欧米人はたいてい旅行会社の手配するツーリストバンで効率よくゴンパを周るのが定番だ。ちいさな外人だけが乗ったバンでゴンパからゴンパへ周り夕方レーに戻るというのはどうも滑稽な気がした。時間がかかっても公共バスとヒッチで周るほうがレー以外のラダックが見れて一石二鳥だとおもい、すべてバスで行くことにした。

8時半にへミスから7キロのカルーまで行くバスに乗る。このバスは1日二本でこれを逃すと1330までない。カルーまでは1時間で着き、そこからへミスへゆるい坂道をひたすら登る。日陰はまったくない。景色はすばらしいがそれ以上に日差しが強い。1時間くらい歩くとかなりしんどくなってきた。仕方ないので通りがかった車をヒッチする。難なく乗せてくれた。へミスの坊さんを乗せた車で10分でゴンパの前に着いた。

山に貼り付くように大きなゴンパが建っていた。中に入るとお堂の前に囲まれた広場がある。毎年7月にここでチェツュというお祭りがあり、ラダック観光のハイライトになっているが、今回はすでに終わっていた。中庭から見るお堂の外観はなかなか壮観だ。お堂に入ると数人の坊さんがお経を呼んでいる。奥にはグル・リンポチェの像がある。久しぶりのチベット仏教の寺だ。チベットにあるもの同様、室内は極彩色でいろいろな絵がかかれている。チベット自治区のお寺と違うのはダライ・ラマの写真が大きく飾ってあるところだ。ここは中国のような規制はない。そういう意味でここのお寺のほうが本来の姿をしているのだろう。僧侶も生き生きしてるように感じるがそれはたぶん気のせいだろう。

へミスを出るとまだ11時だった。帰りのバスは明日までないので今夜はゴンパに泊ろうと思っていたが、さすがに時間がありすぎる。カルーへもどり、そこでタクトック・ゴンパへ向かうバスに乗れそうだと欲がでてきて、カルーへ戻ることにした。今度は寺を出てすぐにバイクのヒッチに成功してほとんど歩かずにカルーに戻れた。

カルーで昼飯を食い、1430にレーから来たタクトック・ゴンパ行きのバスに乗った。バスはカルーから北側の渓谷に進み、緑が溢れる村の光景が飛び込んできた。この村の先にタクトックはあるはずだ。

バスに乗ってたラダッキのおじさんが「あれがタクトックだぞー」と教えてくれた。岩山にフジツボのようにつく寺が見えた。おじさんは「タクトックは古いのと新しいのがあって、新しいのはもっと先だ」と教えてくれえた。とりあえず新しいほうまでバスで行こうと思い、そのままバスに乗っていたが、バスの乗客が全員降りたところで運転手はここで終点だと言った。どうやら新しいタクトック・ゴンパは通り過ぎたようだ。

まーいいかと歩いて戻り始める。すると右側にまだ工事してる寺が見えてきた。近くにいた坊主に聞くとそれがタクトックだと教えてくれた。新しい建物はどうもありがたみに欠けるように思えた。さらに歩いて古いほうのタクトックに着いた。

坊主に頼んでお堂を見せてもらう。ここのお堂は洞窟で建物のなかは岩肌だ。洞窟の天井にはお札がたくさん貼られていた。ここはラダック唯一のニンマ派の寺。僧は15人程度らしいが、3人しか見当たらなくかなり寂しい雰囲気だ。外はいつの間にか雨が降り出していた。坊主が「どこに泊るんだ?」と聞くので「決めてない。近くにゲストハウスはある?」と聞くと寺の前のツーリストロッジは閉まってて、ゲストハウスは近くにはないと言う。もうバスもないし、車も走ってないからレーに帰るのは無理だなーと考えていると、坊主は村の知り合いに聞いてみると言って電話をはじめた。電話を終えると村のほうを指さして、「あの家だ」と言った。どの家かはよくわからなかったが「ありがとう」とお礼を述べた。


村には家が点在していて、各家は畑を持っているのでかなり離れている。坊主の知り合いの家もどの家かは不明だが、だいぶ距離はありそうだ。するともう一人の坊主が車で送ってくるれるといい、寺の前に止まっていたふるいMalti Suzukiに乗り込んだ。「いい車だね」と言うと坊主はにっこり笑い、パワステもないMalti Suzukiで走りだした。ところが寺の前の坂をすこし登ったところで力尽きて停まった。驚くほどパワーがない。坊主はバックで引き返して500mほど前から助走をつけて坂を再度登りはじめた。坂の後半でかなりきわどかったがなんとか乗り越えた。再度坊主に「いい車だね」と言うと「日本車は性能がいいだろ」と言った。はたしてこれが日本製かは定かではないが、日本車神話はここでも生きているようだ。


家の前に着くと坊主が扉をノックして、中に入っていった。奥にはまだ10代に見える少年がいて、リビングのような部屋に通してくれた。坊主は必要なものは彼に頼めばいいといって去って行った。すると少年よりすこし年上に見える女の子が入ってきた。彼らは兄弟だといい。父親は軍隊だから家にいなくて、母親はちょうどレーにいってて、いないと言う。タイミング悪いときに来てしまったなーと心配になったが、少年は大丈夫だから心配するなと言った。姉のほうがお茶を飲むかとすすめてきたのでいただくことにした。すると姉は木の彫り物がされた筒状の容器にお茶、バター、塩を入れて容器についてた先の平らな棒でお茶を混ぜ始めた。これが噂にきくバター茶混ぜ器だ!昔、ラサや東チベットで家に招かれたときもバター茶をご馳走になったが、これを使ってるところは始めてみた。

混ぜ終えたバター茶はポットに入れて、そこから茶碗に注いで出してくれた。一口飲むとたいぶ重たい。そしてしょっぱい。なかなか厳しいがここはがんばっていっきに飲み干して、「おいしい」と感想をつげる。彼らは万遍の笑顔だ。弟はあいた茶碗に2杯目のバター茶を注いで、もっと飲んでくれと言う。「ありがとう」と言って、すこしだけ飲んだが、バターが気持ち悪い。「これはお茶でなくスープだ」と自分に言い聞かせながらさらに口に運んだ。すると姉がすかさずバター茶を注ぎ足す。笑顔で「ありがとう。でもお腹いっぱいだから」と伝えて、もう注がなくていいとジェスチャーする。

それから村のことをいろいろ聞くが話題はなくなり、3人で沈黙が続く。弟はこちらが退屈してるんじゃないかと気遣って、近くの寺を見に行こうといい始めた。他にやることもないので行くことにした。徒歩10分くらいで着いた小さな建物の中には大きな岩が祀られていた。弟はその岩のくぼみを指して、「これはグル・リンポチェが足を乗せた跡だ」と言った。この岩にグル・リンポチェは足を乗せて石を岩山に投げて、その石が当たったところにタクトック・ゴンパが建てられたと教えてくれた。

家に戻ると姉が鍋でなにか温めていた。「ラダッキフードでいいか?」と聞かれ「問題ないよ」というと鍋の中身を皿によそってくれた。「スチウだ」と言う。シチューのことかな?と思ったが言うのはやめておいた。見た目は油の浮いたカレーとシチューの中間のような感じでニョッキのようなものが入っていた。味は今まで食べたどのチベタン料理よりも美味しかった。お代わりをもらい、それも食べおわると、親戚の男がやってきて姉は親戚の家に行くといって出て行ってしまった。そのあと弟がベッドルームへ案内してくれて、ここで寝てくれと言った。

停電で電気がつかないがきれいな部屋だ。だが後でバスルームに行くと若い女性用の化粧品があり、姉の部屋だと気がついた。姉はベッドルームを使わせてくれるためにわざわざ親戚の家に泊まったのだ。なんだか悪いことをしたなーと思いつつ姉のベッドで横になった。周りからは何一つ音が聞こえない。ここは本当に静かな村だ。








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