ラダックにはいくつか許可証がないといけない地域がある。パンゴン・ツォという湖もそのうちのひとつで湖上に中国との国境があり湖の3分の2は中国領だ。
へミス・ゴンパへ行く前にレーの旅行会社に頼んで5日間有効のパーミットを600Rsで頼んでいた。昨日レーに戻ってくるとパーミットは無事取れていた。パンゴン・ツォ行きのバスは週2回、朝6時に出ていた。所要6時間らしい。
朝バスターミナルへ行くとすでに多くの人が乗っていて焦ったが、ちょうどスペイン人とイギリス人のすこし歳のいったカップルの隣に席が空いていて座れた。イギリス人はガイといい、スペイン人の彼女とラダックで合流して2週間ほどいて、明後日の飛行機でマドリットへ帰るという。彼女のほうはもう少しラダックに残るらしい。
バスは順調にカルーを過ぎ、峠への登り坂に入った。この峠は5300mあるらしく、世界で2番目だという。1番はラダックのヌブラバレーに行く峠らしい。チベットにもそんな場所があった気がするが、順番はどうでもいいと思った。
バスはかなりオンボロで、上り坂を20分走る度にとまって、エンジンに水をかけて冷やす必要があった。道はかなり悪くお決まりのパンクもあり、峠の頂上までは何度も停まり、どう考えても6時間でパンゴン・ツォに着くようには思えなかった。
峠を過ぎて、今度をくだりを進み2時間くらいたったところで町が見えた。すでに15時過ぎで9時間以上が経っていた。そこで食事休憩があった。バスから降りると他にも3人日本人が乗っていたようで挨拶をした。ガイと彼女と食堂に入り3種類しかないメニューからトゥクパを頼んだ。
さらに2時間走るとようやく湖が見えてきたがすでに日没が近く、すぐに暗いなりそうだ。「天国」とツーリストから称えられる湖は天気が悪く、その天国っぷりはうかがえない。バスは湖の西側をしばらく走り、ツーリスト用の大きなテントが山ほど張ってある村でとまった。周りには何もない標高4000mの湖でここだけゲストハウスとテントが建ち並ぶ風景はとても不自然だった。
バスの外に出ると、ガイは「君はどう思ったかわからないけど、このバスは私には本当にハードだった。」と弱った声でポツリと言った。
暗くなる前に宿を探さないとと歩き出した。ちょっと行くとさっきの日本人3人組がいて、彼らも宿を探していた。安く上げるためにみんなで部屋をシェアしようという事になり、2件ほどまわって、600Rsの部屋を確保した。部屋は汗と芳香剤が混ざったような微妙な匂いがした。試しにキャンピングテントのリゾートチックな宿の値段を聞きにいくと、スタッフの少年は平然と4000ルピーだと言った。「馬鹿か!」と帰ろうとすると2000Rsと訂正した。どちらにしてもだいぶ勘違いした値段だ。いったい誰がこんな値段設定を教えたんだろう。
宿に夕食を頼んでから湖に行き、どんどんあたりが暗くなるのを見守った。
8時半に夕食と言われたので宿に戻って、他の日本人と一緒に話して待つ。時間を過ぎてもなかなか出てこないのでキッチンのある建物へ様子を見に行くと3人の日本人のうちの男の子が中で座ってビールを飲んでいた。「まだまだかかりそう?」と聞くと「さっき家族総出で野菜とか切ってましたよ。たぶん加熱に入ったからもうすぐじゃないですか。」と言ので、みんなで中で待つことにした。だが出てきたのは、なぜかダールとライスだった。家族総出で切ったものは何処へいったのだろう。