運転手の言った7時にバスに歩いて戻るとバスが消えていた。他にもバスに乗っていた人がいて、バスは離れたところに泊った子供たちを向かえに行ったと教えてくれた。バスにいたシュリーナガルの2人組と韓国人、インド人の若者が戻ってきていた。彼らは寝る場所がなく、近くの民家に泊めてもらったらしい。
しばらくするとバスが来て、みんな乗り込んだ。道路は昨夜、復旧したようで、他の車も出発していくのがみえる。こっちのバスも出発し峠にむけて坂を登っていった。2時間くらい進んだところで雨で道路に土砂が流されている場所があり止った。道路には土砂が流れ出ていて深さがありそうだ。上からは雨水が小さな2本の流れになって道路にたまった土砂に流れている。無理に行けば土砂にはまってしまいそうな感じだ。バイクのツーリストたちも止まって様子を見ている。
外に出て、土砂を見に行く。雨水の流れを1本飛び越えてそこで道路を見ていると、いきなり上流から土砂が流されてきてバイカー達の足元まで土砂で埋めた。先頭のバイクはタイヤが泥に埋まったが、みんなで押してなんとか脱出した。
道路の泥を取り除くのは無理と判断して、道路よりすこし上の斜面を通って、流れを越えて通り抜けようと考えた。積んであったスコップとジャッキ用の鉄の棒で地面をならしていく。みんなで石を集めて、バスの通る道をつくる。流れの中に大きな石を並べて渡れるようにした。
まずバイクが先に渡り、その後にジープが渡った。流れを渡った後の泥が深く、右側の山際を常に進まないと泥にはまりそうだった。バスの番になり乗客は全員バスから降りた。勢いよく道路から上側斜面に乗り上げ、みんなで作った石の道へはいる。流れを渡ろうと前輪がすこし下ったところでバスの下の腹が傾斜地面にあたり、タイヤが浮いてしまった。
「あーーー!」と声が聞こえた。とりあえず、腹にあたっている地面を削り、タイヤの下に石をひく。子供以外のほぼすべての乗客が石を集めたりして作業にあたり、1時間くらいで動きそうな状態になった。男衆がバスを後ろから押して、運転手がアクセルと踏むと、するするとバスは前進した。みんあ「おおー」と前に進むバスの後姿をみて歓声をあげる。だがバスは流れを乗り越えたとたん、土砂に深々とはまった。歓声は途切れる前にそのまま悲鳴に変わった。もっと右を進まないといけないのに運転手は泥の真ん中に突入していた、これはもう1泊だなと思った。
今度のは抜け出した直後でみんなショックがおおきい。なにより泥が深く抜け出すのは不可能にみえる。子供たちは外で毛布をかぶって凍えている。運転手は2本目の流れの方向を石で変えて、水で車の泥を取り除こうとした。車のほうへ水を流せば状況は悪化するだけだ。運転手に説明するが聞く耳を持たない。案の定どんどん来る水でタイヤはより沈み、水は更なる土砂を運んできた。うすうす気がついていたが、運転手は馬鹿だった。
ようやく間違いに気がついて、今度は流れを車から遠ざけた。水が引いたあと男衆がタイヤの周りの泥をスコップで取り除き、女衆が集めてきた石をタイヤの下に敷いていく。泥は深く、交代でスコップを握り泥をほる。標高4000mでの肉体労働は過酷だ。みんな口数が減り、ほとんど何もしゃべらなくなっていた。
作業開始から3時間近くたったころにようやく動かす準備が整ったようにみえた。みんなバスの後ろに行き、1.2.3の合図でバスを目いっぱい押す。馬鹿な運転手は合図とは関係無しにアクセルをふかす。「馬鹿か!合図に合わせろ!」と怒鳴る。それでもバスはなかなか動かない。また泥を取り除き、石を敷く。日本人の女の子達はもはやなにもしゃべらず、凍えながら石を運んでいる。男の子は裸足で泥の中だ。
5回目のチャレンジでついにバスのタイヤは敷きつめた石をかんで前に進んだ。同時にみんな歓声をあげた。バスは泥を抜けた。バスの後ろでみんなで抱き合う。馬鹿な運転手も降りてきて加わったが、真っ先に日本人の女の子へ向かった。
インド人はみんなの集合写真を撮り、子供たちは喜んでバスに乗り込み、所定の場所で毛布に包まった。なんとか今日はレーにつけそうだ。
その後バスは峠を越えたところで道路が崩れそうな箇所の乗り、横転しそうになる。さらなる道路工事を強いられたが、夕方無事にレーにたどり着いた。パンゴン・ツォを出るときに子供たちは学校に行くと言ってたが。もう授業はとっくに終わっているだろう。
乗客は途中でどんどん降りていったが、みんな降りるときに笑って手を振ってくれた。レーでバスを降りると、外人たち全員と握手して別れた。みんな達成感で満たされた、いい顔をしている。
パンゴン・ツォは記憶に残る旅になった。