2016/OCT/10 「赤い砂漠」

朝の9時にEUROPCARのオフィスは着いた。少し遅れて日本人のカップルがやって来た。ヨータ君と彼女はフランスで短期の語学留学をしていたらしい。その後、二人でアフリカ南部をすこし旅することにしたらしく、ケープタウンまで飛行機でやって来て、キャット&ムースで滞在している時に出会った。

オフィスにはまだ従業員が来ていないので閉まっていて、15分ほど外で待たされた。他の白人も同じように待っていて、話をすると、ナミビア人だった。ソススフレイまでVW poloで行くと話すと驚いた顔をして「Good Luck」と言った。周りのセキュリティ達も「ゆっくり走れ」とすこし心配している。

従業員が来ると、予約の確認をして、車の説明を受けた。よっぽど事故が多いのか、安全運転のビデオまで見させられた。四駆の車が見事に横転するビデオだ。契約内容確認して、契約書にサインをして、車に荷物を詰め込んだ。車はどういうわけか、追加料金無しでトヨタのカローラになった。こっちのほうが一回り大きく、トランクも容量があったので助かった。問題はナミビアのレンタカーは殆どがマニュアルだということだ。オートマも無いことはないが、数が少ないし料金も高い。マニュアルに最後に乗ったのは多分16年以上前だ。

近くの駐車場で練習をしてから、行くことになっだか、かなり苦戦した。幸いヨータ君がフランスでマニュアル車を運転したというので、二人で交互に運転することになった。中国人二人はマニュアル免許さえない。

ウィントフックからは幹線道路をレホボスという町まで南下して、そこで食材と鍋を買った。そこからは見鋪装の道路に入った。車はたまにしか通らず、乾燥したランドスケープが続く。道もほぼ直線が続き、轍の間には砂の溜まりが出来ていて、そこを乗り越えるときは、車が浮いたような感じでコントロールを失う。多分これが一番危険な気がする。ブレーキでも踏もうものなら一瞬でコントロールを失いどこかへ突っ込むだろう。

未舗装に入ってからは町らしい町もなく、ひたすら走り続けるだけだ。一つ心配は、レンタカーの諸々の手続きで時間がかかり、出発が遅れたことだ。砂丘の上でサンセットを見るにはキャンプサイトに午後4時には着きたいところだ。だがこのせいで、焦りが出て、スピードを出しすぎるのが一番マズイ。

そんな心配をしながら飛ばしていると、キャンプサイトには無事4時に到着できた。テントを張り、少し休んでから車でDune45という砂丘へ向かった。ここまでは5時間も未舗装の道だったのに、何故かキャンプサイトから砂丘まではしっかり鋪装されていた。こんな砂漠の中なのに。

Dune45は舗装路のすぐ横にあり、少し興醒めだったが、夕日が地平線に近づくと砂は赤く染まり、幻想的だった。世界最古の砂漠と言われるナミブ砂漠は赤い。砂丘の少し先の斜面をオリックスの子供が歩いているのが見える。砂丘を登るのはオリックスでも大変そうで、足を滑らせながら必死に登ってゆく。この水のない砂漠でどうやって生きてゆけるのか本当に不思議だ。ナミブ砂漠にはオリックス以外にもダチョウやガゼルが棲息している。彼らは皆、何千年もこの砂漠と共に暮らしているのだろう。この砂漠が人を遠ざけ、彼らの生態系を守ったのかもしれない。

キャンプサイトに戻ると既に真っ暗だった。帰り道で集めた木の枝で火をおこした。そこに鍋を置いて、野菜と卵を入れ、ラーメンで夕飯にした。こうやって車でキャンプをしながら、アフリカを長く廻れたらきっと楽しいだろう。アフリカで何度か見かけた、フル装備のキャンピングカーで旅している歳いったヨーロピアンを思い出した。歳をとってからああやってアフリカの大地を旅することが出来たら本当に幸せだろーなーと思った。そのときまで、アフリカが今と変わらない自然と生態系を保てっていてくれることを願うばかりだ。














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