2016/OCT/9 「ナミビアのレンタカー」

昨日ケープタウンからナミビアのウィントフックにバスで着いた。バスは聞いたことのない会社だったが、有名なインターケープよりも200ランド(1,460円)も安かった。何処の会社も同じような時間で運行していて、ケープタウンを朝の10~11時に出発して、翌朝8時くらいにウィントフック到着だ。マイナーな会社なのか乗客も少なく、横になって寝ることが出来た。通路を挟んで右側3席、左側2席の15席構成だったが、皆夜になると空いているので3席シートに横になって寝ていた。

ウィントフックには`カメレオン'`カードボードボックス'という有名な宿が二軒あり、カメレオンの方が快適だが少し高かかったのでカードボードボックスにした。ナミビア観光のハイライト、ナミブ砂漠にいくにはツアーかレンタカーしかなく、ツアーは45,000NAD(33,000)とかなり高額だった。ケープタウンで岡田さんからレンタカーを数人でシェアするとかなり安くあげることができると聞いていたので、ウィントフックに着いたらひと集めをしようと考えていた。

夜行明けで疲れていたので、庭にテントを張り、朝食を食べてから、ラウンジでゴロゴロした。レセプションで一応ツアーを聞いてみたが、やはりバカ高く、レンタカーの方がはるかに安くすみそうだ。宿には期待した日本人ツーリストが全くいないので、外国人でナミブ砂漠に行きそうな人を探さないとなーと考えていると、ラウンジにいた中国人カップルに宿のスタッフが、車とドライバーを紹介しているのが聞こえた。15分くらいするとドライバーらしき男がやって来て、プールサイドのテーブルでそのカップルと話をし始めた。彼らは砂漠へ行くための手段を探している。

話に加えてもらい説明を受けた。12日で運転手付きで、一人35,000NAD25600円)。これには宿泊費は入っているが、食費は含まれないらしい。ツアーより少しだけ安くなる程度だ。

カップルは高すぎて諦めたので、ドライバーが居なくなってから、一緒にレンタカーを借りないかと持ちかけた。彼らはレンタカーを考えてなかったが、格段に安くなると言うと話にのってきた。レセプションで電話帳を見て、片っ端からレンタカー屋に電話をかけた。電話に出たのは2社だけで、車は全て予約済みだと言われた。次にネットで探すとTHIRTY CARという会社で空車が見つかった。中国人二人はあまり旅慣れてないようで、横でずっとみているだけで一切動かない。このカップルはケンドリックとカレンといい、中国人だが、バンクーバーで育ち、暮らしているので英語は流暢だ。むしろ中国語は苦手らしい。

レンタカーのオフィスに着いて、スタッフと話をするとネットでは空きがあったのに車はないと言われた。どうも、ナミビアのレンタカーはネット予約と実際の店の状況がかなり違っているらしく、欧米のレンタカーチェーンだからと油断してネットで予約しても、実際には車が無かったり、車種が違ったりとサービスが追い付いてない。

ケンドリック達は明々後日の朝のフライトを取ってあるので、明日の朝から12日でないと砂漠には行けない。1泊で行けるのか、かなり疑問だったが、調べてみると可能なようだった。

今日は土曜で何処も午後一時に店を閉めると聞いて、レンタカー屋でwifiを借りて、直ぐに他の会社を調べたら、EUROPCARという会社でVWpoloが見つかった。念のため電話して車を確認し、予約を取った。これで、なんとかナミブ砂漠には行けそうだ。ケンドリック達は終始ソファに座っているだけで、一切動かない。THIRTY CARで車がないと言われたときも、直ぐにナミブ砂漠を諦めたし、旅人としては諦めが良すぎる気がした。

帰りに食料を買い出して宿に戻った。サンドイッチやキャンプでラーメンを作る材料、水10Lを買ったが、ケンドリック達はフライドポテトとソーセージがラップされた惣菜を2つずつ買っていた。全く調理はしない気だ。これをキャンプサイトで食べたら、さぞかし虚しい事だろう。明後日までなら、あのソーセージとポテトはもつだろうが、2日も前のソーセージとフライドポテトを食べたくはない。二人に明日はサンドイッチを作ってやると話し、夜は火を起こしてラーメンを作ろうと話したが、ソーセージとポテトは手放さなかった。

二人はテントも寝袋もなく、車の中で寝ると言うので、砂漠の夜は冷えるから、寝袋だけはレンタルした方がいいと話したが持ってる服を着こんで寝るからと聞かなかった。まー何はともあれ、準備は終わった。

宿に戻ると、ケープタウンの宿で会った日本人カップルからメールが来ていて、彼らはナミブ砂漠にツアーで行くと書いてあった。狭くて良ければ、車を押さえたから加えてあげられると言うと、是非参加したいと言い、急遽5人になった。車はVWpoloなので、持っていく荷物は必要な物に絞ってほしいと伝えて、寝袋やテント、食器のレンタルをするように話した。二人は「分かりました。レンタル屋で調達します」と答えた。こっちのカップルは中国人とは違って素直だ。

特に見所のないウィントフックで見るべきものは、北朝鮮の援助で建てられた博物館だろう。あれだけ貧しい北朝鮮の援助でできたというから驚きだ。最上階のレストランからは町が一望でき、博物館には建国の歴史が共産主義丸出しの展示物でドラマチックに説明されている。ナミビアは南アの実効支配から独立戦争を経て、独立を勝ち取ったがそこにはキューバの功績が大きい。1975年アンゴラがポルトガルから独立し、内戦に突入すると南アは反政府ゲリラを支援して武力介入を始める。キューバはアンゴラ政府を支援して参戦し、南ア対キューバという当時世界の爪弾き者同士の泥沼の戦いに発展。ナミビアは南ア軍のアンゴラへの前線基地になった。最終的にはアンゴラ、キューバ、SWAPO(ナミビア独立運動のため結成された南・西アフリカ人民機構)の攻勢に南アはキューバの撤退を条件にナミビアの独立を認めた。そんなわけでキューバは恩人であり、街中にはフィデル・カストロ通りまである。当然キューバの後ろにはソ連がいて、北朝鮮も同じ共産主義国として、援助をしたのかもしれない。アフリカの歴史は複雑だ。










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