2016/NOV/12 「コンゴのチェックポスト」

朝の5時半にパパ ジョナスが起こしにきた。殆ど荷物も広げてなかったので、起きて、直ぐに外に出た。顔を洗ってからパパ ジョナスとタクシーでバスターミナルへ向かった。ここでもタクシー代を払おうとするので、止めて払った。

パパ ジョナスが周りの人達に聞いて回り直ぐに車は見つかった。ここもシェアタクシーだ。今度はミニバスもない。初めはニャンガまでの車を探していたが、ちょうど国境へ行くというガボン人のおばさんとベナン人のオッサンがいたおかげで、その車はニャンガの先の国境まで行くことになった。値段は15,000CFA3,000円)と安くないが、今日ガボンに入れるのは大きい。

一時間ほどで人が集まり出発した。今回もボロボロのカローラに7人だ。しかも皆大量の荷物を運んでいてトランクを全開にして荷物を積み重ねて、その上からビニールシートを被せた。セダンにこんなに荷物を積んだのは見たことがない。そもそもビニールシートを被せてもトランクは全開なので雨が降ればトランクの中に水が溜まって、荷物はびしょ濡れだ。

ドロシーからニャンガの道は未舗装だったが、わりと平らで問題は無さそうだった。ただし、ニャンガまでは3ヶ所ほどチェックポストがあり、これらは前日までのものより、はるかに達が悪かった。パスポートを見せると、それを返してくれず、金を払えの一点張り。払わなければ通さないと言って、何処かへ行ってしまう。しかも、これ迄より値段も高く、最初のが5000CFA1,000円)で次のは10,000CFA2,000円)と言ってきた。コンゴ人は請求されず外国人のみがターゲットになる。なぜかガボンのおばさんは素通りで、ベナンのオッサンと二人、常に長い交渉に臨まなければならなかった。ベナンのオッサンは警察に負け、最初のチェックポストで3000CFA600円)、次のチェックポストで10,000CFA2,000円)を支払った。3つ目のチェックポストは豪雨で警察が出てこなかったので、素通りできたが、オッサンはタクシー代と合わせて28,000CFA5,600円)も払ったことになる。たった200kmの移動に50ドルも払わなければならないとはずいぶん高い移動費だ。3つ目のチェックポストでも雨がなかったらと考えると恐ろしくなる。

何もなくてもいちゃもんをつけてくる警察達は、南アフリカで取得したコンゴビザが、何故かマルチエントリーの商用ビザになっていたので、チャンスとばかりに、「何故ツーリストが商用ビザなんだ?」と金をむしり取ろうと必死のピンポイント攻撃に出てきた。別に商用ビザでも問題ないはずだが、彼らはこういうあらを見つけるととことん突っ込んでくる。

これは逃れられないかというと、そうでもない。断固たる決意とぶれない心が、必ず道を開く。実際ブラザビルから国境まで7つの検問があったが、1度も賄賂は払わなかった。どうしたかというと、通さないと言われてもずっと通してくれと訴える。あと日本大使館の人からもらった名刺をちらつかせる。フランス語では話にならないので、英語でずっと話続ける。これで時間はかかるが最終的に向こうが折れるのを待つ。問題は時間がたつと、運転手が時間がないから払えと言ってくる。さらに乗客達も早く進みたいから払えと言ってくる。終いには荷物を下ろすから、一人でドロシーへ戻れと言ってくる。これは、「ならお金は払わない!」と言って沈めるしかない。なのでタクシー代は絶体到着時に払うことだ。

毎回一時間近く交渉に時間がかかり、途中から豪雨で道も泥んこになり、さらにパンクやら、謎のエンジン停止というハプニングも加わり、ニャンガという国境の手前40kmの町に着いたときには、既に午後の3時過ぎだった。朝6時に出発してだ。

ニャンガで一人下ろして、更に数キロ先の村でおじさんを一人下ろした。まだ豪雨は弱まりそうもない。すると運転手は何やら残りの乗客に話をはじめて、ガボンのおばさんともめ始めた。ベナンのオッサンは運転手が「雨で道が悪くなっているので国境までは行けない」と言い出したと説明してくれた。確かにこの豪雨のなか、このオンボロの車で進み、またエンジンが掛からなくなったら、お手上げだ。

夕方に国境へ向かうトラックが通るらしいから、それに乗れば国境まで今日たどり着くことは出来るという。まーそれ以外にチョイスはないのだから、そうするしかない。
運転手はここまでの代金を8000CFA1,600円)にしてくれた。元々は荷物代は別途1500CFAと言っていたが、それも無くなった。

ここで降りたおじさんの家の軒下で皆でトラックを待った。いつも夕方5時から6時くらいに通るらしい。あと1時間半は待つことになる。雨はやむ気配もない。家のおじさんはビールを飲み始めたので、生温いビールを1本売ってもらって一緒に飲み始めた。それを見た疲れはてたベナンのオッサンは「お前はまるでコンゴ人みたいだな」と呆れた顔で言った。
一時間もすると雨が弱まってきた。17:30を過ぎたくらいに遠くから走ってくる灯りが見えた。「トラックだ!」と言って、皆で道路に近寄ってトラックを止めた。家のおじさんがトラックの運転手と話をする。一瞬オッケーっぽい雰囲気が流れたが、なぜかトラックは走りはじめて、行ってしまった。よく分からないが乗せてはもらえなかった。これで明日の同じ時間まで車は一切通らない。

どうしたものかと皆暗くなってしまったが、取り合えず、おじさんの家に泊めて貰えることになった。そんなにベッドがあるわけではないので、テント泊用のマットを敷いて、寝袋を出した。子供達は見たことないので、興味津々だ。蚊取り線香をマットの脇で焚けばなんとか寝られるだろう。


食べ物も買えないので、フランスパンをわけてもらい、ナミビア以来すっと運んできたツナ缶を開けて、挟んで食べた。このルートはなかなかしんどいなーと電気さえ通ってない暗い家のなかで、ランプの灯りでツナサンドをかじりながら思った。

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