2016/AUG/17 「死体と踊る祭り」

ジョンエメの家に長居するのも悪いなと思い、と言うか、その家は実はジョンエメの家ではなく、お兄さんの家で、ジョンエメは自分が教えている学校に住んでるらしく、翌日、学校へ帰ると言うので一緒に家を出た。体調が悪かったので、サマーに中心のホテルを探してもらってきて、目星を着けてからジョンエメと共に市内バスでホテルへ向かった。

サマーの探してきたホテルはツインで50,000アリアリだったが、その隣のホテルは44,000だったので結局そっちにした。しかも、こっちの方が綺麗だった。一体サマーは何処を探してきたのか分からないが、なぜこんなにもすぐに見つけられる安いホテルを見つけられないのか理解不能だ。きっと一件しか見てこなかってのだろう。

ホテルにチェックインすると、ジョンエメは自分の学校を見せるといい、一緒に少し離れた学校まで歩いていった。学校の近所にくると、知り合いが沢山いて、道で何人もの人と挨拶を交わした。学校はプライベートスクールで、かなり古く立派な建物だ。ジョンエメが部屋に荷物を置きに行っている間、校庭を眺めて待っていた。校庭ではバレーボールを練習する中学生らしき男女がいる。サマーに「中国では学校でなんのスポーツをやるの?卓球?」と聞くと「バスケやサッカーだよ。変わらないよ」と答えた。「何のスポーツがすきなの?」と言うと「体を動かすことは好きではない」と見た目通りの答えが来た。

アンツェラベの町は、小さく、古いフランス時代の建物があり、なかなか良かった。タナに比べるととても静かだ。

翌日、アンツェラベの近くの村の温泉へ行こうと思ったが、タナの宿で会った旅人が、この近くの村で死体と踊る「ファマディハナ」という祭りにいったという記事をFacebookで見つけた。すぐにその人にメッセージを送ると、アンツェラベでガイドを雇って、自転車で二時間くらいかけて村にいったと教えてくれた。

サマーと朝飯を食いに行き、戻ってくるとホテルに自称ガイドがやって来た。ガイドはバオバブ街道へのツアーの人集めをしてると持ちかけてきたが、ファマディハナについて聞くと、そこへ連れていけると言った。聞くと、自転車を借りてここから12キロくらいの村へ行くというので、聞いていた話と全く同じだ。ただし、その自称ガイドはバオバブツアーへ行くので、別のガイドを紹介すると言われた。値段を聞くと、自転車レンタル、村へのお土産()、村長へ渡すお金、ガイド料などすべて込で150,000アリアリ(二人分)だと言う。たしか一人60,000アリアリと聞いていたので少し高い。試しに「100,000は?」と聞くとそれでオッケーだと言った。「でも、今日は温泉に行こうかと思ってたから考えるよ」と渋ると、さらに90,000アリアリに下がった。聞いていたより大分安い。今日は温泉でなく祭りだ。

すぐに出発すると言って、ガイドは自転車を借りに出ていって、10分後に他のガイドを連れて戻ってきた。どうやらガイドは二人いるようで、一人は英語が話せて、もう一人は話せなかった。何故もう一人要るのかは不明だが、まー値段は同じなので、四人で自転車で出発した。

途中までは舗装された幹線道路を進み、途中から未舗装の道へ入った。未舗装路は砂が深く、砂ぼこりで目と喉がやられたが、そこから更に畑道のような道に入ると、マウンテンバイクの大会のような道になってしまった。サマーは大分遅れてきた。途中かなり細く、タイヤを取られる道が続き、ヤバイなーと思って振り返ると、サマーはまんまと溝にはまっていた。

村に着くと、先ず村長に挨拶にむかった。ガイドのアンドレがこちらを紹介し、お酒とお金を渡した。みんな「メルシー」と言っている。喜んで貰えたようだ。多分これはお酒ではなく現金にだろう。アンドレはここにいるのはすべて一つの家族だと教えてくれた。百人くらいいそうな大家族だ。一族が固まって家を建てて暮らし、それが村のようになる。どこも民族も同じで、基本的に少数民族の村というのは、村ではなく一族の家の集合だ。辺鄙ところに住む少数民族ほど親族でもない人間と一緒になど暮らさないものだ。

それから、建物の中に通されて、赤い米と豚肉の煮たものが配られた。家族のメンバーも一緒に床に座って食べた。言葉が通じないのでニコニコ微笑みながら、お互いチラチラと見ながら食べ終えた。集団お見合いのような不思議な空気だ。

その後、まだ儀式までは時間があると言うので村の周りを歩いてまわった。ここに来て、もう一人のガイドが、色々アンドレに質問されていて、こっちのガイドがこの村出身だと判明した。きっと、英語が話せないのでアンドレも来ることになったのだろう。村人はサマーが中国人だと分かると、カンフーのポーズで「ジャッキーチェン!ジャッキーチェン!」と連呼した。「どちらかと言うとサモハンキンポだろ」と言うと、皆、大爆笑した。この時より、サマーはサモハンになった。

石とモルタルで固められた4m四方の墓は、高さ2m程で、上には十字架のようなものが取り付けてあった。でも、キリスト教とは関係ない。アニミズムに似た現地の宗教だ。周辺には食べ物や飲み物を売る屋台が出ていて、結構な人が集まっている。この墓には一つの家族ではなく、幾つもの家族の無くなった人の遺体が納められているので、参加者はかなり大人数になる。一つの家族で100人だとしても、十家族くらいは参加しているようなので1000人くらいだろうか。

そのうち、遠くから音楽が聞こえてきた。鼓笛隊のような行進をしてくる集団がいる。一緒に一つの家族が行進している。それがこっちまで来るとその鼓笛隊は他の家族のところへ行き、他の家族を連れてくる。そうやって何度も色々な家族を墓に連れて来るようだ。最後の行進で墓へ行き、墓の周りを回りはじめた。大勢の人が集まってきて、墓の周りを囲んだ。音楽に合わせて、墓の正面に集まった人達が踊り出し、何となく、村祭りの様をていしてきた。

だが、ここで違うのは、数人の男が墓の横をスコップで掘り出した。地面を掘り、その下から出てきた石の扉を開く。奥には通路のような空間があり、男達は中へ入っていく。音楽はドンドン大きくなり、群衆も合わせて踊る。踊るか掘るか、どっちかにしたら?と思ったが、墓の中からはついに、白い布で覆われた死体が運び出されてきた。死体はゴザで巻いて、頭の上に担いで、踊っている群衆の中を掻き分けて進んで行く。邪魔でしょうがないとおもうが、何故か躍りは止まらない。次から次へと死体が運び出されて、踊りの上を通りすぎて行く。まるでライブでダイブした人が、下から押されて宙を舞っているようだ。

死体は人混みの中で、地面に置かれると新しいシルクの布を巻かれる。そして全ての死体がシルクで巻かれると今度は墓の周りを回って、墓の中へ戻される。遺体からしたら一体何の騒ぎだったんだ?と思ったことだろう。

午後4時半を過ぎて、帰るまでに暗くなってしまうので村を後にした。この祭りは六時までやってるらしいが、電灯もないオフロードを暗闇のなか帰る自信はなかった。アンドレは「このあとは皆酒を飲み始めて、かなや大変になる」と教えてくれた。きっと、親族が集まり、皆で夜までお酒を飲むのだろう。言ってみれば、日本のお盆だ。親族が集まり、墓参りをするのとそう変わらない。マダガスカルじゃー墓参りは爆音で踊りながらやるんだ。そう考えると、妙に親近感が沸いてきた。






























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