今日はコンゴ川を渡り、ブラザビルに行く日だ。コンゴ民主共和国とコンゴ共和国の首都は川を挟んで対峙している。三キロほどの川幅があり、橋は無いので船でわたる。以前は小型船と大型船があったらしいが、大型船の方は暫く動いてないという。日本大使館の上田さんに値段は25ドルだと聞いていたので、事前にチケットも買わずに当日港へ行くことにした。
この国境はロンプラでも、かなり大変だと紹介されていて、激しいワイロ攻撃が予想された。しかし、結果から言うと、ワイロ請求はあるが、払わないと突っぱねれば済む類いのものだった。それ以上に面倒だったのが、出国手続きのフィクサー達で、港に着く500mくらい前から4,5人に囲まれ、船のチケットを売っていると言い別の場所に連れて行き、チケット以外にも何と何に金がかかると言ってくる。港にはかなりの数のフィクサーがいて、そいつらで客の取り合いをするので、港に入るのも大変だ。
船のチケット以外に何かの税金のような物も必要だという。ホントか?と思ったがレシートを渡してくるので払った。チケットはフランで払ったほうが安く、25,000フラン(21ドル)ですんだ。さらによく分からないレシートの値段2400フラン(2ドル)とさらにイミグレの所で税金を1000フラン(0.8ドル)払った。会う警察、イミグレは先ず一言目には金と言うが、強く拒めば諦めた。税関も真っ先に金と言ってきたが、払わないと突っぱねると、荷物には全く興味を示さずに、不機嫌に通してくれた。
それから待合室で待機して、20人乗りくらいの小型船で出発した。ここまで所用二時間といったところだ。
コンゴ川の水はアマゾンのように茶色で、広大だった。川の上からは両岸にキンシャサとブラザビルの町が見える。キンシャサの方が大きいのが分かる。
20分くらいすると着岸して、よく分からない港の税金1200CFA(240円)、もっとよく分からない謎のチケットのお金1000CFA(200円)を払った。ワイロ攻撃はない。こっちのコンゴ(コンゴ共和国)はあっちのコンゴ(コンゴ民主共和国)と大違いだ。
その先にイミグレがあり、一番奥の部屋に通された。そこに座っている男がチーフのようで、宿泊先と滞在期間を聞かれた。この男の古いパソコンのモニターには黒人の男が白人の女とセックスしている映像がずっと流れていた。どうやらコンゴ共和国もそんなにしっかりした国ではなさそうだ。
チーフは部下に入国スタンプを押すように指示をして、何処かへ行ってしまった。
港を出るとタクシーがたくさん止まっていたが、現金が無いので、ATMを探しに町に出た。ブラザビル中心部はキンシャサよりもはるかに狭く、町中を見ながら銀行を探して回った。そんなに数のないATMはフランス語表示だけの物が多く、結局ラディソンホテルの中のATMで現金を下ろした。ここからは、しばらくCFAセーファーフランという通貨を使うことになる。セーファーフランは西アフリカと中部アフリカの二種類があるが、それぞれ多くの国で採用されているため便利だ。中部アフリカセーファーフランはコンゴ共和国、ガボン、カメルーン、チャド、中央アフリカで使える。
そこから少し歩いてタクシーを見つけ、運転手に「天理教に行きたい」と言うと全く通じなかった。フランス語しか通じないというのもあるが、テンリという言葉にも一切反応がない。ブラザビルでは、有名と聞いていたので住所も調べて無かった。テンリという名前だけが頼りだ。近くにいた警察官が寄ってきて、説明すると、しばらくして「テリンキョーか?」とヒットした。太鼓をたたくジェスチャーまでするので、これで間違いはない。タクシー代を聞いてもらうと2000CFA(400円)だといい、警官もそれくらいはかかると言うので、それで了承した。
そこから少し歩いてタクシーを見つけ、運転手に「天理教に行きたい」と言うと全く通じなかった。フランス語しか通じないというのもあるが、テンリという言葉にも一切反応がない。ブラザビルでは、有名と聞いていたので住所も調べて無かった。テンリという名前だけが頼りだ。近くにいた警察官が寄ってきて、説明すると、しばらくして「テリンキョーか?」とヒットした。太鼓をたたくジェスチャーまでするので、これで間違いはない。タクシー代を聞いてもらうと2000CFA(400円)だといい、警官もそれくらいはかかると言うので、それで了承した。
天理教の教会はブラザビルの南のマルシェ トータルという市場の近くにあり、市場はとても活気があった。壁の向こうに天理教のマークの入った屋根がみえる。門の前で立っていると、門にいたおじさんが中に入れと仕草して、奥の建物へ案内してくれた。そして、教会の裏に住む若い男を紹介した。
シャンセルというその男は流暢な日本語を話し出した。驚いていると「日本に四年間住んでました」という。そして、何も言ってないのに信者用の部屋に案内されて、「ここに泊まってください」という。なんて話が早いんだ!かなり簡素な部屋で、ベッドのマットレスもスポンジ丸出しでいかにも虫が住んでそうだが、泊まらせてもらえることになった。
ブラザビルは電気と水道がしょっちゅう止まるようで、水は出ないときは3日もでないとか、電気も毎日何時間かは使えなくなるらしい。共用のトイレとシャワーが宿泊棟の横にあり、鍵を開けてもらって使うらしい。バケツに水を汲んできて浴びる感じだ。部屋もトイレ、シャワーも汚いが、まー宿泊費がかからないので文句は言えない。他の部屋にはコンゴ人の信者が住んでいるようで、日本語の挨拶を知ってる人が結構いて、「おはようございます」と話しかけられる。なかなかいい雰囲気だ。
シャンセルに「日本人の旅人はよく来るのか?」と聞くと「半年に1人くらい」と答えた。前回来たのは6月だったと教えてくれた。その人もキンシャサから来て、ガボンへ抜けたらしい。中部アフリカを北上するひとが他にもいるんだなーと少し嬉しくなった。