2016/OCT/23 「ルバンゴの娼婦宿」

昨夜は深夜にルバンゴに着いて、バス会社の待ち合い室で一泊した。ベンチと床は横になっている人で一杯だった。5時くらいに床掃除が始まり、外に追い出された。暫くすると明るくなり始め、人も移動を始めた。

マコン社のオフィスは町から離れていたので、乗り合いバンで、町の中心へ移動。代金は150クワンザ(33)と安い。昨夜、バスが止まったときに、食べ物や飲み物を売りに来た売り子からチキンと炭酸ジュースを買った時も、合わせて500クワンザ(110)とやはり安かった。アンゴラの物価はそんなに高くはなさそうだ。闇両替のレートが公定レートの3倍というのが効いている。

宿は四軒ほど回って、一番安いPension Jisilにした。他にもう少し安い部屋のある宿があったが、そこは一番高い6,000クワンザ(1,320円)の部屋しかないと言われて止めた。Pension Jisilも始めは部屋はないの一点張りで泊めてくれなかったが、オーナーらしき人が来て、その人に頼むと泊めてくれた。4,8005,000の部屋があったが、値段表ではその差は部屋に冷蔵庫があるかないかだ。しかし実際には5,000払っても部屋には冷蔵庫もないし、値段表には全ての部屋にテレビが付いてたが、それもなかった。部屋にはベッドが2つとシンクがあったが、シンクは水が出なく、建物全体でシャワー、トイレ含め、水の出る蛇口は一つもなかった。各階に二つあるシャワーはポリタンクの水をバケツで浴びるのだが、水は濁っていて、歯磨きはミネラルウォーターを使った。一応バスタブがあるが、水は詰まって誰かが浴びた水が溜まっているし、窓ガラスも半分は割れてなかった。どこか旧ソ連圏にあるソビエトホテル(ソ連時代に国が建てた保養所をソ連解体後に宿泊施設にしたもので、建物は立派だが古く、電気、ガス、水道が止まっているので不便極まりない)を思い出した。

この宿にはほぼ永住をしている住人が多く、その殆どが娼婦だった。ピチピチの服をきて、朝から酒を煽っている腹の出た女たちは、会うたびに部屋に行こうと誘ってくる。扉を開けておくと部屋に入ってきて、机に置いてあるリンゴをくれとか、ビールをおごれとたかってくる。20人くらいはいる娼婦に囲まれるとかなり面倒なことになる。コイツらは大声で、後でセックスしようと言ってくるし、いきなりチンコを触ってくるやつさえいる。

しかし、このホテルのスタッフは誰一人として英語が話せないので、娼婦の片言の英語は役に立つ。なぜ、誰一人英語の通じないこの町で娼婦だけが英語を話すのかは謎だ。
ルバンゴの町はポルトガルっぽい建物が残ってはいるが、共産主義っぽい古いコンクリートの建物もあり、あまり統一感はない。建物は古くメンテが行われてないのでボロボロだ。モザンビークに似た雰囲気がある。

ルバンゴ郊外にはトゥンダバラという、岩山があり、上からの眺めは素晴らしいという。バイタクに交渉して、2000クワンザ(440円)でトゥンダバラと町の東のテーブルマウンテンの上にあるクリスト レイ(キリスト像)を回ってもらった。

トゥンダバラには滝もあるが、たいした規模ではなかった。日曜日なので滝の上にあるダムに泳ぎにきた若者が沢山いた。

もうひとつ、ルバンゴから35kmくらい南西に行くと日光のいろは坂のようなSerra da Lebaというつづら坂があり、有名だがそこは興味がなかったので行かなかった。

最後に向かったクリスト レイからはルバンゴの町が一望できて気持ちよかった。アンゴラ人の週末客が来ていて、スペイン語を駆使して、話をしたり、写真を撮ったりした。


宿に戻ると疲れが出たのでベッドで休んだ。暫くしてドアをノックする音が聴こえ、扉を開けると今日1日運転してもらったバイタクの運ちゃんがいて、何かを聞いてきた。近くの娼婦を呼んで通訳してもらうと、「明日Serra da Lebaへ行かないか?2000クワンザでどうだ?」という勧誘だった。疲れていたので素っ気なく「行かないって言ったよね」と言うと、「そうか、オブリガード」と言って帰っていった。今度は通訳した娼婦が帰らないので、リンゴをひとつあげて、追い出した。アンゴラは聞いていたより、はるかに物価は安いが、娼婦達がかなり面倒くさい国だ。


























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