シャンセルに「そろそろガボンへ向かう」と話すと、週末までいて、サプールの集会も見ればいいんじゃないかと勧めてきた。既に6泊もしているし、毎日やることもなく、夕方の礼拝の後にシャンセルと冷えたビールを探しに停電の町をねり歩くのが日課になってしまっている。このままではお金がかからないという理由だけで長居するという無意味な長旅になってしまいそうだ。やはりここを出るべきだろう。
ガボンまでは、途中にあるドロシーという町に1泊して、次の日に国境近くのニャンガという村に行き、その翌日国境を越えるという感じだとシャンセルは教えたくれた。実際にシャンセルが国境に行ったことがあるかは疑問だが、ここに泊まった旅人達は皆そういうルートを取ったらしい。
ドロシーは国境までのちょうど中間にあり、ガボンへの道とポイントノールへの道の分岐になっている。ポイントノールとはコンゴの経済の中心の町だ。シャンセルは「ドロシーという町に天理教の布教所があるので泊めてもらえるように頼める」と言った。天理教のネットワークはなかなかスゴい。ちなみにニャンガにもあるらしいので、天理教の施設を辿って、ガボン国境までいけるとわけだ。
出発の朝、シャンセルは朝の礼拝の後にバス乗り場まで送りに来てくれた。ミニバスとシェアタクシーがあり、どちらも12,000CFAだ。ただし、シェアタクシーは古いカローラに助手席に二人、後部座席に四人乗せる。シェアタクシーの方が早くつくと言うのでそっちにすることにした。
タクシーは人が集まるまで一時間を要した。シャンセルはドロシーに着いたらパパ ジョナスが迎えに行くと言い、パパジョナスの電話番号を教えてくれた。シャンセルはタクシーが出発するまで居てくれるし、パパ ジョナスはピックアップに来てくれるとは天理教はなんて至れり尽くせりなんだ。しかも宿代もお布施以外は受け取らない。一体なんの使命感があってこんなに旅人によくするのだろう。
助手席に二人、後部座席に四人と子供二人を乗せたカローラは、キツくて思ったほど快適では無かったが、道はズット舗装されていた。途中4回ほど警察のチェックポストがあり、毎回賄賂を請求された。フランス語で話にならないので、英語でひたすら文句を言うと通してもらえた。警察はかなりしつこいのと、あまり時間がかかると、他の乗客が早く払ってしまえと言ってくるのでかなりウザかった。ブラザビルの市内では警察に止められる事は一切無かったし、イミグレでも賄賂攻撃はなかっただけに、このチェックポストはかなりガッカリした。
タクシーはドロシーの町には入らず、分岐のガソリンスタンドで降ろされた。パパ ジョナスがいないか探したが、それらしき人は見当たらない。特徴を聞いてきた訳ではないから、そもそも向こうが見つけてくれない限り会えない。こちらの出来ることは、目立つように歩いて回ることくらいだ。
しかし、いくら経っても声も掛からないので、近くの警官に携帯を借りて、教えてもらった番号にかけてもらった。警官は電話が終わるとジョナスのいるとこまで一緒にタクシーで行ってあげるといい、通りでタクシーを捕まえた。これは親切半分、自分が町に帰るタクシー代を払わせる目的だったと後で分かった。コンゴはそんなもんだ。
町の中の市場のような場所に着いて、ここだと言って降ろされた。すると一人のやたらと手の長い、汚い格好のオジサンが車に寄ってきた。「パパ ジョナス?」と聞くと「ウィ」と答えた。これにはチョッと驚いた。ブラザビルの天理教の人は割ときれいな格好をしていたが、パパ ジョナスはかなり底辺な格好だ。大丈夫かなと心配になってきた。
が、パパ ジョナスはかなりおもてなしの心を持った男で、ここまでのタクシー代金をおもむろに払おうとする。すかさず制止して「自分で払います」と伝えた。
そらから更にパパ ジョナスと別のタクシーに乗り込み、教会へ向かった。ここでもパパ ジョナスはお金を払おうとするので、止めて払った。
ドロシーの天理教の施設は、ブラザビルとは天と地ほどの差があった。ボロい民家にしか見えない建物のなかに手作り風の祭壇があり、同じ建物のなかにジョナスや家族の寝室がある。トイレ、シャワーは外にあるが、屋根はなく壁だけだ。大人はジョナスしかいないようで、小さな子供たちが6人くらい遊んでいる。庭に唯一の水道があるが、水はブラザビル以上に濁っているが、皆これを飲む。電気は当然なし。
パパ ジョナスはかなり張り切っていて、建物の中の祭壇を案内してくれ、天理教の50周年のパンフレットを見せて、色々と説明してくれた。フランス語だからさっぱりだが、このパンフレットはブラザビルにもあり、シャンセルから説明されていたので聞くまでもなく内容を知っていた。そのあとは町を案内すると言って、二人で施設を出た。
フランス語が話せないのは分かってる筈だが、パパ ジョナスはガンガン話してくる。挨拶以外は殆どわからない。色々と質問をしてくるのだが9割理解できない。するとパパ ジョナスはシャンセルに電話をして、自分の言ったことをシャンセルに通訳させた。さっきからズット聞いていたのは今夜は何を食べたいかだった。なんて親切なやつだ。何でも出てきたものを食べるのに。
そのあとも質問があるとシャンセルに電話をして、通訳してもらい会話をした。電話代がかかってしょうがないし、シャンセルもたまったものではないだろう。
市場を見て、一通りドロシーの町を歩いて周り、施設に戻ってきた。パパ ジョナスは「シャワーを浴びるか?」と聞いてきた、浴びたいと言うと、バケツに水を汲んできてくれた。離れの壁だけのシャワー室に入ると雨が降ってきた。もはや、バケツの水も要らなかったのではと思った。パパ ジョナスにトイレはあるか?と聞くとシャワー室の排水溝を蓋していた石を足でどけて、「トワレット アフリカーナ」と言った。なんとこのシャワー室はトイレ兼用だった!恐るべし天理教。
夕飯はサバを油で揚げたのとフーフーだった。揚げたてのサバは柔らかく、フーフーもモチモチで旨かった。電気がないのでランプの明かりで食べた。ここの施設にはブラザビルの様に客室があるわけではないので、子供たちが寝ていたであろう部屋を使わせてもらった。多分子供達は別の部屋で雑魚寝だろう。パパ ジョナスからドロシーにもサプールがいて、週末に集まると聞いていたので、それまでいるか悩んだが、ここに長居するとパパ ジョナスの負担が大きすぎる気がしたので止めた。子供達のベッドをいつまでも占拠するわけにはいかない。明日国境を目指そう。