2016/OCT/24 「ムムイラ族を追って」

今日の朝7時のバスでベンゲラへ行こうと考えていたが、ルバンゴ近辺にはムムイラ族という少数民族がいると聞いて、彼らを見てから移動することにした。宿のスタッフがセラ シェラホテルの前に出稼ぎにやって来ると教えてくれた。ウィントフックにいた出稼ぎヒンバ族のような物だ。

ミニバスでセラ シェラホテルに着くと、それらしき民族は見当たらない。隣のホテルのセキュリティに聞くと、10時くらいやって来るよと教えてくれた。時刻はまだ8時半。早く来すぎたようた。近くで朝食を食べようとお店探すが見当たらず、セキュリティがホテルにレストランがあると言うので、朝食を食べに向かった。高そうだなとは思っていたが、サンドイッチとコーヒーで1000クワンザ(221)だった。コーヒーはインスタントコーヒーが何故かエスプレッソカップで出てきて、目の前でスタッフがインスタントの粉をカップのお湯にいれて作ってくれるという謎のサービスがあった。カウンターにはエスプレッソマシーンが置いてあるが、動かないらしい。「もう少し大きなカップでくれ」というと、普通の大きさのカップがきて、また目の前でインスタントコーヒーを作ってくれた。粉が高いのか、粉は色がつく程度しか入れてくれなかった。「ミルクはあるか?」というと、コップ一杯にミルクを入れようとするので、コーヒーに少しだけ入れてもらった。そして、会計では何故か200クワンザのはずのコーヒーが大きなカップとミルクを理由に500になっていた。泊まっている宿のバーではビールが150クワンザで買えることを考えれば、この500はべらぼうな値段だ。

再び、ホテルの前に戻ってくると、宿のスタッフが「食べ物を買いたいからお金をくれと」とたかってきた。アンゴラはイミグレでもジュースを買ってくれとか、お金や物をねだる人がかなり多い。なんだかかなり貧しい国に来たようで、世界一物価の高い国と聞いていたのとは、全く異なる印象だ。

セキュリティが道を歩いている人にムムイラ族がどこにいるか聞くと、もう少し登った公園付近にいると答えた。そっちへ歩いて探しに行くが、ここでも見つからない。手当たり次第に人に聞くが、分からないという。そのうちにメルカドにいるとか、カテドラルの広場にいるとか色んな意見が出たので、しらみ潰しに行ってみることにした。しかし、どこにいっても見つけられない。

最後にやって来たカテドラルの広場で昼飯を買って食べることにした。公園には沢山の物売りがいて、ジュース、サンドイッチ、茹で玉子などが買える。小さなフランスパンにツナを挟んだサンドイッチが100クワンザ(22)と信じられないくらい安い。瓶のコーラも100(22)だ。この辺がアンゴラの底辺の物価なのだろう。これまで旅したアフリカの国の中でも最安ではないだろうか。

花壇に座って、サンドイッチと茹で玉子を食べていると、隣に座っていた男が話しかけてきた。首からカメラを下げていて、どうやら写真を撮ってその場で現像する、写真屋のようだ。よく見るとこの広場の角にはカメラを下げた男がたくさんいる。ニコンかキャノンの下位機種にストロボを付けて、パスポート写真などを撮って金を稼いでいる。

男はピントという黒人で、カメラを見たがった。フルサイズのカメラはこの辺りでは持ってる人はいないだろう。ナミビアで撮った写真も見せてやると、ヒンバ族やヘレロ族に興味を示した。彼の写真も見せてくれたが、殆どがストロボで顔が不自然に明るくなっていて、微妙だったが、ここではこれが良いとされているのかも知れない。「壁に被写体を立たせて撮ると、壁に人の影が出来てしまうんだ」と悩んでいたが、それがストロボを前に向けているからだとは、まだ気がついてない様子だった。

ピントにムムイラ族の写真を撮りたいと言うと、「いつもはこの辺りにウロウロしてるんだけど。向こうの公園にはいるかも」と言って、連れていってくれることになった。
公園に着くと、付近にいる同業者にムムイラは見たか?と聞いて回るが、見てないと言う。今度はそこにいた別の男が「ミレニアムモールにいる」といい、ピントとそっちへ向かう。が、ミレニアムにもいない。更にそこにいた男がセラ シェラだと言う。そこは朝にいった場所だ。だがピントは、「この時間ならいるかも知れない」と言い、ミニバスで再度セラ シェラホテルに向かった。

ピントと二人で周辺を一時間くらい捜索したが、見つからなかった。セラ シェラのセキュリティは顔を覚えていて「そんなに見たいのか?ウンパタにはごろごろいるんだがな」と言った。ウンパタはルバンゴではなく、隣の町だ。それに、今日はベンゲラまで移動しようと思っているので、そろそろタイムリミットだ。ピントは「行きたいか?」と聞いてきたので「今夜はピントの家に泊まれるか?そしたらベンゲラへは明日移動する」と言うと、「問題ない」と強く答えた。

こうして、ピントとのムムイラ族探しはルバンゴからウンパタへ場所を移した。ウンパタの町は、小さな町で、市場で降りてムムイラ族を探し始めた。ここはルバンゴよりはるかに人が、民族チックで面白い。ナミブに住むというモコバル族が、数人いたが写真を撮ろうとすると「金をだせ!」と凄い剣幕になったので、撮るのを止めた。腕と足首に金色のリングを何本もしている以外は割と普通の格好だったが、一人だけ胸をはだけて、体を紐で乳首の上で巻いてる人がいた。多分これが本来の服装なのだろう。

市場の中に入ると酒臭い男達が寄ってきては、囲まれる。ムムイラ族はいるかと聞くと、「金を払えば俺が連れていってやる」というが、誰もムムイラ族を見つけることは出来なかった。一人だけムムイラの女性と子供がいたが、伝統的な髪型ではなく、わりと普通の格好だった。まさかムムイラ族を探すのがこんなにも苦労するとは思わなかった。

夕方になり、戻るバスが無くなるので、ルバンゴへ戻ることにした。Pension Jisilでバックパックを回収して、歩いてピントの家に向かった。途中暗くなってしまい、ピントの住むエリアには全く街灯がなく、石がごろごろする道を歩くのに苦労した。異臭を放つどぶ川を渡り、日干しレンガの掘っ立て小屋が密集する路地を歩いて、鉄の扉をくぐるとようやくピントの家に到着した。敷地には沢山の小さな建物が建っていて、ピントの親戚だと教えてくれた。皆、始めての外国人の訪問に興味津々で、すぐに寄ってきて囲まれた。ピントの奥さんのサンドラが夕食を作ってくれ、味のない茹でたパスタと焼いた魚を食べた。敷地に一つ共用のトイレがあり、日干しレンガの壁のなかに床に穴がポッカリ開いていた。当然水道も通ってない。ここは昼間、町から遠くに見えたスラムに違いない。ピントの家には電灯がなく、テレビが代わりに光を提供していた。優先順位がよく分からないが、明かりも得られて、娯楽にもなるので、電灯よりテレビなのかもしれない。世界一物価が高いなどと言われるアンゴラの暮らしはアフリカの中でも底辺のひとつだと思う。






















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