ボイアからヤウンデに戻り、日本大使館を訪れると荒田さんは「ようやく会えました」と嬉しそうに第一声を放った。荒木さんにはメールでヤウンデの滞在先を伝えていたので、宿泊しているフォイエ インターナショナルにも何度も電話をしてくれていた。
なぜ日本大使館に来たかというと、昨日ナイジェリア大使館を訪れたときにビザ申請に日本大使館のレターが必要と言われたからだ。
何処の国でも評判の悪いナイジェリア大使館では受付の太ったおばさんは常にうつ向いて携帯をいじっていて「ビザが欲しいんですが?」と話しかけると、怒ったような声で「なんでだ?」と怒鳴った。「旅行でナイジェリアに行きたい」と答えると、「レジデンスは持ってるのか?ないならダメだ」と更に高慢な態度で言い放った。陸路でアフリカ一周をしていること、日本を出て20ヶ月も経つので日本で事前にビザを取ることは出来なかったこと、ナイジェリアには知り合いもいないのでインビテーション等のレターは用意できないことを説明すると「じゃー日本大使館からレターを貰ってくるんだな」といい、申請書をくれた。申請書の端にJapanese 69,000cfaと書かれた。何日かかるか聞くと三日後と言う。
意外にも簡単に取れそうだ。値段は安くはないが、ブラザビルでは171,600cfaだったので、それに比べれば良心的だ。相変わらずナイジェリア大使館のスタッフは態度が最悪だが、それはこの先も変わらないだろう。そんなわけでヤウンデでナイジェリアビザを取ることに決めた。
ヤウンデは殆どの大使館がバストスというエリアにあり、チャド、中央アフリカ、ナイジェリア、日本大使館は徒歩圏内だ。普通大使館のあるエリアというのは外国人地区で、道路も整備されていて、綺麗なお店が多いものだが、バストスは酷く、道も未舗装がおおく、雨のあとは水溜まりだらけだ。店も高い店が多いが綺麗ではない。ただし、ヤウンデ全体で綺麗な店などない。
荒田さんは「フォイエ インターナショナルには前任者に連れられて、一度見に行ったことがあるんですよ。たまに日本人の旅人がそこに来るから見ておいたほうがいいと。去年の4月に赴任して以来、旅人なんて来ないなーと思ってたけど、田付さんがそこに泊まってると聞いて、ついに来たかーという感じです」と何故か感無量だった。この宿は2008年を最後に改訂版が出版されない旅行人アフリカ編にも載ってるくらいだから、昔は旅人が集う場所だったのかもしれない。最近の旅人はカウチサーフィンを使う人が増えたせいか、宿には他に誰もいない。一緒にカメルーン山に登った韓国人のクンも、彼がヤウンデで会った四人の旅行者は全てカウチサーフィンだと話していた。これだけ旅行者の少ない中部アフリカで、カウチサーフィンのお陰でさらに旅行者に会うことが少なくなってしまうのは悲しい。せっかくこんなところまで来たのだから、たまには他の旅人にあって、ビールでも飲みながら旅の話や情報交換とかしたいものだ。
荒田さんは、「田付さんホントに死なないで帰国してください」と心配してくれるので、なんだか嬉しかった。ガボンの日本大使館にも訪れたが、こことはすこし対応が異なりよそよそしかった。何とも言えないが、ここほどウェルカム感はなく、必要以上に長居出来ない感じだった。キンシャサの上田領事担当もいい人で色々お世話になったが、早くコンゴから出てくれというオーラがいつもあった。驚くことにこの大使館には情報ノートがあり、日本の本の貸し出しもしていた。こんな大使館は中部アフリカではここだけだろう。荒田さんは情報ノートをパラパラとめくり、「フォイエーインターナショナルに四泊すると言って、1泊4000に負けてもらいました」という書き込みを見つけて、「田付さん!これはかなりいい情報では!どうですか?」と興奮して見せてきたが、それはちょっとバカにされてるような気もした。
流石に今日の13時までにレターが欲しいというのは叶わなかったが、閉館の16時までには用意してもらえることになった。
町で時間を潰して16時に大使館に戻ると荒田さんはレターを手に待っていた。カメルーン人の職員は帰宅して行くなか、そこから荒木さんとアフリカ話で盛り上がり、17時まで大使館に居座ってしまったが、嫌な顔一つ見せることはなかった。
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