2016/NOV/20 「寄り道癖」

日曜はイミグレは休みだと聞いていたが、行ってみると開いていた。ここビタムのイミグレはコンゴの国境のイミグレよりもよっぽど働き者だ。

町中で朝食のサンドイッチを買って、マルシェを見ながら宿へ戻った。荷物を纏めて、国境へのシェアタクシー乗り場へ向かう。このタクシーは国境を越えてカメルーンのイミグレのあるキヨシという町まで1500CFA300円)で行ってくれる。

ビタムの町は不思議なことに浅黒い背の低いアジア人がたくさんいる。話しかけるとインドネシア人だという。数十人は見かけたインドネシア人は、この近くにある会社で雇われて働きに来たと言い、500人くらいはいるという。今までにアフリカで見ることのなかったインドネシア人が大勢いるこの町は、何処か不思議な感じだが、インドネシア人と黒人のコンビはマダガスカルと同じで、何処か違和感は感じない。

シェアタクシーは10分と待たずに人が集まり出発した。国境まではたいした距離ではないが、異常な数のポリスチェックがある。何故こんなに必要なのかわからないが、こまめに賄賂の要求がある。ガボンは昨日、1度だけ賄賂の請求があるまでは、20回を超える検問で1度も賄賂請求が無かった。国境付近になり、統率に乱れが出ているのかも知れないが、残念な気持ちになる。要求金額もショボいし、払わないと言えばすぐに通してくれるので、コンゴに比べれば赤子の手を捻るようなものだ。

キヨシの町のイミグレの前で降ろしてもらい、入国スタンプを貰った。カメルーン入国だ。もう何ヵ国目かは忘れだが、125は越えてるはずだ。国が変われば人も変わる。カメルーンの人が良いことをひたすら祈る。

イミグレのおじさんはとてもいい人で、英語もフランス語も堪能だった。おじさんはピグミーの村を訪問したいと言うも、KribiDjoumという二つの起点になる町と行き方を教えてくれた。この二つの町は全く別の地方にあり、ピグミーの人達も違う種類だ。Kribiに住むバジェリ ピグミーは周辺のバントゥー系の民族と交配が進み、そんなに特徴を残してないと聞いたことがあったので、Djoumのバカ ピグミーに会いに行ってみたい。

ここからだと、まずバスでエボロワまで行き、そこでサンメリマ行きに乗り換え、サンメリマからDjoumまでバスかシェアタクシーだという。バス会社のオフィスに行くと、ヤウンデ行きのミニバスがあり、それでエボロワまでは行けるとのことだ。

バスはもうしばらく出ないというので、コーヒーを飲んだり、写真を取ったりしてると5,6人の小汚ない中国人がスーツをきた黒人と車に荷物を積んでいるのが見えた。周りの人に聞くと、彼らは赤道ギニアでスタジアムを建設してる労働者だという。久しぶりに片言の中国語を駆使して話すと、これからヤウンデに行き、中国に帰ると答えた。全く垢抜けない格好のこの中国人達は明らかに地方からの出稼ぎ労働者だ。アフリカで見かける中国人はこんな地方出身者が多く、建築の仕事で上海で打ち合わせしたような中国人はまず見かけない。

同じバスに乗るカメルーン人に二人組の英語教師がいて、話をすると彼らはガボンと赤道ギニアへ日帰りで行ってきたという。「赤道ギニアはカメルーン人もビザが要るよね?」と聞くと、「確かに必要だが、日帰りなら国境で書類を作ってらもらい入国できる」という。二人組のうちの一人、ガイエルという青年はこの辺りの出身で、叔父が国境の役人と顔見知りだから、少し賄賂を払えば入れるという。「えー!そうなの?カメルーン人だけでしょ?」と聞くと「いや、日本人でもいける。おじさんに聞いてみようか?」と言うので、「是非!」と頼んだ。

電話をしてくて聞いてみると、叔父は問題ないと答えたという。「日本人と伝えたか?」と確認したが、「そう伝えた」と答えた。ガイエルが叔父に入国を助けてくれるように頼んでやるといい、近くのホテルに連れていってくれ、あとでおじさんがホテルを訪ねてくるように手配してくれた。「おじさんはここではかなりコネがあるから大丈夫だ」といって、バス停に戻っていった。

これはまたよくわからない展開になってきた。こんなんで赤道ギニアに入れるとは到底思えないが、1泊しておじさんに会う価値はありそうだ。なにしろ赤道ギニアビザはリーブルビルで8万円と言われている。

リーブルビルからはヤウンデを目指すはずが、いつもの寄り道癖が出はじめた。こうやって旅はじわじわと長くなってゆく。

1時間後に宿に来るといっていたが、全く来る気配がないので、電話すると直ぐに行くと言って電話を切った。雨の中、ずぶ濡れで現れた叔父さんロビンソンは異様に酒臭く、完全にできあがっていた。英語は話せるようだが、それ以前にろれつが回ってないので、話せないのと変わらなかった。雨の中、叔父さんとバイタクに2ケツでバーに向かった。というか連れていかれた。妹がやってる店のようで、電話で奥さんも呼び出し、一緒に夕飯を食べた。ロビンソンは「明日は大丈夫だ」と目を合わせるたびに話した。

ビールを飲みながら、雨が止むのを待ったが、いっこうに止まないので、結局その夜はバイタクでびしょ濡れになりホテルに戻った。明日は晴れてくれないかなーと天気も不安だったが、それ以上にロビンソンの自信が不安だった。














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