サンルイはフランスが西アフリカに初めて作った入植地で、今もコロニアルな建物が多く残る。サンルイの町は大きく3つに別れていて、ガラージ(バスターミナル)がある下町的な大陸部分、コロニアルな建物が残るサンルイ島、さらにその先の大西洋沿いにビーチが延びる細長い島があり、大陸部分から1本の鉄橋でサンルイ島に繋がり、さらにそこから2本の橋でビーチ島に繋がっている。ちなみにこの1本の鉄橋はエッフェル塔の設計者、エッフェルによるものだ。エッフェルはモザンビークでも鉄道駅とアイアンハウスというポルトガル総督公邸を設計していて、アフリカに縁がある。
この町の不思議なところは、普通ビーチ沿いはリゾートホテルやレストランが並ぶ一等地のはずなのに、町の中心はサンルイ島でビーチ島は漁師が住むスラムのような漁村になっている。
バマコで会ったチーコちゃんがサンルイのジャンベカフェという宿でダンスを習っていると言うので、その宿に泊まることにした。するとその宿には東アフリカで何度も会ったミナちゃんも長期滞在していた。実に10ヶ月ぶりの再会だ。こんなビーチに手作りで建てた、掘っ立て小屋の宿に日本人だけ3人もいるのがすこしおかしかった。町にはもっとマシな宿がいくらでもある。ここはサンルイでも底辺の宿だろう。
ミナちゃんは南アまで下ったあとスペインに飛び、そこからモロッコ、モーリタニア、セネガルと下ってきたらしい。本当は西アフリカを回る予定だったが、サンルイでジャンベを習い始め、ここに既に2ヶ月もいると話した。朝にはチーコちゃんとダンスを習い、夕方ジャンベを習い、何故かスタッフの食事も作っている。もはやホテルスタッフだ。というかホテルスタッフは何もしない。水道がないのでタンクで水を汲みに行かなければならないが、宿の少年に頼むとあんまり水をつかうなというし、宿の夕食はスタッフとシェアのご飯を1000CFAで頼めるのだが、それもミナちゃんがつくる。この宿はおかしなことになっている。
朝のダンスは謎だったが、夕方のジャンベはまわりに住むジャンベ仲間が集まってきて、皆でセッションをするのでなかなかの見ごたえがあった。この宿は電気も水道もなく、それでもテント張るのに2500CFAも取る理解不能の宿だが、このセッションに加わりたいなら、まーありかなーという気にもなる。
帰国後、ミナちゃんはこのジャンベカフェの管理人兼ジャンベの先生と結婚した。今思うとそうでなければ、あんなにホテルの手伝いはしないだろう。二人の末永い幸せを祈る。
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