シェクはお金がないと言っても何度も砂漠ツアーを誘ってきた。お金が無いというのは本当で、シンゲッティにはATMがないので、今もっている現金でアタールまで戻らなければならない。残りの現金は26,000MRO(8000円)しかなく、シンゲッティからウワダンまでのラクダツアーは5日間で55,000MRO(16,940円)だというので不可能だ。ウワダンはシンゲッティと共にサハラ交易の隊商都市として栄えた古い町だ。興味はあったが、今は2日間くらいの砂漠ツアーが現実的だ。だがシェクは2日間だと30,000MRO(9270円)だと言う。ここの滞在費とアタールまでの移動代を除くと出せるのはせいぜい15,000MRO(4635円)くらいだ。シェクに現金を見せて、これでなんとかならないかと言うと、食料は自前でという条件でオッケーしてくれた。
シェクは本当にいいやつで、ここのテント泊も2500MROを1000MRO(308円)にまけてくれたし、お金が無いので自炊すると言うとキッチンも使わせてくれた。宿にいるときは常にお茶が出てくるし、wifiも500MROを200MROにまけてくれた。客も他にいないし、何よりツーリズムの崩壊した観光地ならではの諦めた感じが素晴らしい。そういう意味ではアガデスやドゴンなどと似た雰囲気がある。パキスタンのフンザなども廃れ観光地具合はとても良い。
話がまとまったので、早速シンゲッティの旧市街を散策に出掛けた。シェクが旧市街のライブラリーを管理している人に連絡してくれ、給水塔で待ち合わせた。セイフというそのおじさんは片言のフランス語ともっと片言の英語を陽気に話す。シェク曰く旧市街には12個中世のライブラリーがあったが、中を見られるのは二つくらいしかないという。このライブラリーというのはなかなか古いもので、シンゲッティは12世紀頃にはメッカ巡礼の出発点としてイスラム学者、学生、修道士が集まり文化都市として名を馳せたので多くのライブラリーが建てられたらしい。
セイフは石積壁の通路にある背の低い扉を鍵で開けて、中庭に招き入れた。中庭は石積の壁で囲まれていて、木の扉と格子状に積んだ石の装飾がはめ込まれている。木の扉は鍵があるのだが、その鍵が独特で面白い。木の棒に歯ブラシの様に釘がささっていて、これを差し込んで上部の穴に釘をはめ込むと開く仕組みだ。まー扉自体は蹴飛ばせば開きそうではある。
建物の中には古い書物が保存されている。手前のカウンターにあるものを手袋をはめてから、開いて見せてくれた。埃まみれで雑に積み重なっていて、もはや手袋をはめる意味も無さそうだが、何故かそこだけはしっかりしているのが不思議だ。別の部屋は新しい書庫だと言っていたが、やはり埃まみれで違いが分かりづらい。横の部屋には昔使われてた色々な道具が展示されているが、これも床に纏めて置いてあるだけで埃をかぶっているので何だかよく分からない。セイフはモーリタニアでかつて行われていた、女性を強制的に太らせる習慣についても説明したくれた。
屋上に上がると旧市街が一望できた。すぐ裏にはグランモスクがあり、石造りの塔が印象深い。シンゲッティの旧市街はかなり保存状態が悪く、半分以上の建物が朽ち果てた廃墟だ。宿のある新市街との間には何故か500mくらいの更地があり、分離されている。町で一番大きな建造物は給水塔で、コンクリートから染みでた水に苔が生えて、外壁が変色してしまっている。
旧市街の南側はすぐに砂丘があり、近くの建物は半分飲み込まれている。砂は街路にも入り込んでいて、道によってはかなり高く砂が盛り上っていて、越えるのが大変だ。シンゲッティの町は今でも遺跡のようだが、そのうち砂漠に呑み込まれて忘れ去られてしまいそうだ。
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