昨日はあまりの腹立たしさにあまり寝ることが出来なかった。バカなアフリカ人の行動と言葉の壁のせいでもめるのは中部アフリカに入って何度目かわからない。
馬鹿なホテルの警備のせいで近所のバーの男と真夜中に路上でつかみ合いになり、そのせいで薬指の関節がが腫れてしまった。アフリカ人は馬鹿ばかりという在アフリカ白人の言うことを黒人にも色々なやつがいると考えるようにしていたが、昨日はその通りだと思った。
朝一にジョウム警察署に行き、バカピグミーの村への行き方を聞いた。国境のイミグレでは、ジョウムの警察に聞けば、バカピグミーの村に詳しい人間を紹介してくれると言っていた。勿論本当に紹介してもらえるとは思えないが、何かしら情報は得られるはすだ。
まずバカピグミーの村に行きたいと言うと、英語の話せてバカピグミーの村に行ったことのあるバイタクを見つければいいと教えてくれた。英語の出来るバイタク自体が少ないので、英語が出来る→バカピグミー村に行ったことがあるの順でバイタクは絞られた。
ただ、あれほどバカピグミーはとてもウェルカムだとか、村に直接行っても全く問題ないと熱弁していた警官が、実は村には行ったことがないということが最後に判明した。
昨夜の件はこういうことがあったんだけど、と簡単な説明だけしたが、あまり問題にはしたくない様子で、「ここの習慣は特殊で僕も赴任当初はだいぶ戸惑ったんだよ」と身の上話をしてきたので、「じゃー今日ソイツに会ったら、ボコボコにするけど、それでも警察は動かないんだよね?」と言うと、「いや、もし、正式にクレームを出せばひっぱってくるよ。まずは被害届がないと動けないし、それには病院の診断書もいる」と訂正した。まーわざわざ病院へ行き、診断書をもらい、警察で被害申請を出すほどの事でもないのでやめた。
バイタクの運ちゃんに値段を聞くと3000CFA(600円)だと答えた。これには村への往復と村での通訳も含まれるという。しかもこの内1000CFAは村の前の検問で警察に賄賂を払うので実際には2000CFAしか手に入らないらしい。それでも2500CFAに負けさせて出発した。
村はジョウムまでの街道から細い褐色の土の道を5キロほど進んだところにあった。途中の検問では全ての車両がなんの疑問もなく警察に金を渡している。まるで高速道路の料金所だ。旅行者なら抵抗もするが、この辺りに住む人からしたら、警察に目をつけられるよりは、お金を払った方が良いし、賄賂をみんなが払うとそれが当たり前になるのだろう。
村につくと、運ちゃんはスタスタと中に入っていき、近くのおばさんたちに何やら話をしはじめた。10軒くらい建物がある、わりと大きな集落に見えるが、殆ど人がいない。歳いった男性が二人とおばさん4人、子供たくさん。男性も座り込んでいるので、身長が低いかは分からない。うーん。ホントにこれがバカピグミーなのか?
運ちゃんに聞くと間違いないと言うが、建物も他のカメルーン人の村と変わらない。運ちゃんは「村人は畑に行ってる」と言った。「狩猟はしてないの?」と聞くと、この村の人はしてないと言う。多分近代化の進んだ村のようだ。
運ちゃんは戻ってくると、「伝統的な木の枝と葉っぱの家は、二時間くらいで作って見せてくれる。人も集めることも可能だ」と言った。でも、それではまさに観光用だ。
運ちゃんに「もっと先に行ったら、伝統的な家のある村もあるんじゃないか?」と聞くと運ちゃんは村人に尋ねてくれた。他のバカピグミー村はここから、12キロほど先だと分かった。運ちゃんにそこに行けるかと頼むとかなり渋ったが、了承してくれた。後で追加料金と言ってくるのは間違いない。
道はよくなかったが、道沿いには幾つもの村があり、バイクとも何台かすれ違った。30分くらい進むと右手にピグミーの伝統的な家が見えた。これだ。タンザニアで訪れたブッシュマンの家も、木の枝と葉っぱでできていた。狩猟民族は動物を追って移住するので、本来こういった簡素な家に住んでいるものだ。
運ちゃんは道の右側と左側にある建物は全て一つの集落だと教えてくれた。この集落も残念ながら、伝統的な家は一つしかなかったが、村の雰囲気は前の村とは全く違った。
人々は話しかけるとスゴいハイテンションで迎えてくれ、家のなかを見せてくれたり、写真撮影にも応じてくれ、本人の家ではないはずの伝統的な家の中にもいれてくれた。さらに学校もあるぞーと言い、少し離れた森のなかへ案内してくれた。
その学校は道からすこしジャングルに入ったところに屋根と黒板だけのまさに森の学校で驚いた。壁は一切なく屋根のしたに20人くらいの子供達が見える。
カメルーン政府は少数民族への初等教育を推進していると聞いたが、これがその政府の建てた学校ということだろう。だいぶ予算の低い校舎だ。この政府の方針は良いことだが、学校ができて、ピグミーの生活の変化に更に拍車がかかったらしい。実際この村も狩りをしている気配はなく、聞くとお金がなくなって、食べ物に困ったときだけ狩りをすると答えていた。
このフレンドリーな背の低い人達の生活は劇的に変化を遂げていることだろう。中央アフリカやコンゴ国境近くには今でも狩りで生活するピグミーもいるとは言うが、それも時間の問題な気がする。彼らにも教育や公共のサービスを受ける権利はあるが、今からカメルーン人の土俵に上がるのは、やはりかなりのハンデがある。狩りをして、物々交換で食べ物を手にいれてきた人達に貨幣社会は非情な気がする。彼らがこれからどう暮らしていくのか、現金を手にいれる手段を作れるのか、彼らにそんなに明るい未来があるようには思えなかった。少数民族支援には複雑な問題が存在する。