2016/DEC/15 「初めての観光客」

移動2日目はボセンプテレという村まで進み、また全てのトラックを集めて国連治安維持軍の警備の中、一泊した。このキャンプは村とは少し離れていて、隣にUNのキャンプがあるだけで、街道沿いには相変わらずトラック相手の露天が並んでいた。この露天はこのトラックキャンプがなければ存在しないものだろう。

3日目の今日は300kmの移動だ。出発からは穴のあいた舗装路が続いた。順調に進んでいたが、前にいくトラック達がつかえはじめ、そしてついに完全に停まってしまい、道にはドライバーや乗客が降りて歩いている。ドライバーのセオドーは「前方のトラックが事故を起こした」と言った。

降りて見に行くと先頭で20mはあるトレーラーが横転していた。スゴい人だかりだ。そこから後ろには100台近くのトラックが縦列している。横転したトラックの窓ガラスは完全に割れて無くなっている。死んだ人がいるのではと心配になったが、死人は出なかったらしい。男たちは荷台の荷物を運び出している。そして一台のトラックが事故の前に出て、ロープでトレーラーを動かそうと引っ張った。トレーラーは引きずられるように少し動いたが、まだ道を塞いでいる。今度は男達がトレーラーを転がそうと押し始めた。さすがに無理がある。ロープの位置を変え、再度トラックで引っ張るとトレーラーはひっくり返り、元に戻った。ただし、そのまま側溝に引きずられるように落ちていってしまった。これではこのトレーラーはもうダメだろう。

だが、これで道路は開けたので皆一斉にトラックに戻って、事故の現場をすり抜けて走り始めた。これだけの大事故でも警察にすら連絡しないのはスゴい。

それから二時間くらい走るとトラック達はまた縦列に停まり、前から警察がトラックに乗っている人のチェックをし始めた。ここはもうバンギの郊外らしかった。ポリスは外国人のバスポートを集めて行ってしまった。パスポートを持っていかれたのはかなり不安になったが、セオドーもパスポートを渡していたので、きっと戻ってくるのだろう。

それから全ての人がトラックから降りて、ゲートをくぐった。ドライバー達は少ししてからトラックを大きな駐車場のような場所に集めて止めた。そこで荷台にのっていた現地人の殆どが降りた。ここからバンギまでは20キロ以上もあるのでこの人たちはこの辺りの村に住んでいるのだろうか。

ドライバーのセオドーと一緒に警察の詰め所へパスポートを取りに行くと、全く英語の話さないおばさんが、「3000フラン」と言った。回りにはカメルーン人がたくさんいて、皆お金と引き換えにパスポートを返してもらッている。どうやらここでもパスポートにスタンプを押すようだ。アフリカでは隣国民はパスポートなしで入国できる代わりにワイロを払うのが普通で、今までにもそういった検問でお金を払っているのを何度も見てきた。だが、ことあるごとに色々な言い訳をしてワイロを逃れてこれた。

しかし、カメルーン人の通訳を介して、説明をしてもいっさい譲らない。ボスらしき男を捕まえて、さんざん説得を試みるが、やはり払えの一点張りだ。終いにはカメルーン人のドライバー達が「俺たちも払ってるんだから、お前も払え」と言い出し、セオドーは「早くしないとバンギに着けなくなるから払え」と言ってきた。もう115くらいの話し合いになってしまった。ここからバンギ市内まではまだ20キロ以上もあるので、ここでトラックを降りるわけにもいかないので、渋々払った。トラックへ戻るときに回りのドライバー達は、「ここではこれが当たり前なんだ」と慰めてきたが、こういう奴等がいるから警察もワイロを請求するんだ。誰も払わなければ彼らも請求しなくなる。後から思うとアフリカ1周を通して賄賂を払ったのはこれが最初で最後だった。

再びトラックは走り始め、30分くらいでバンギの町に入った。薄暗くなり始めていたが、通りには人が溢れている。道の両側は掘っ立て小屋か建ち並び、地面で物を売る人で歩道は埋まっている。ガール ルーティエという看板のある敷地内に入ってとまった。他のトラックも全てここに来るようだ。ガール ルーティエとはフランス語でバスターミナルの意味だが、内戦でバスの走らなくなった中央アフリカではトラックの駐車場として使われていて、現地人はONAFと呼んでいた。

セオドーは「何処に泊まるんだ?」と聞いてきて、「決めてない」と言うと、「ドライバー達が泊まる宿があるから、今夜はそこに泊まったらいい」と言った。トラックのアシスタントはここでも、トラックの横で寝泊まりするらしい。カメルーンの運送業ではアシスタントとドライバーは天と地ほどの差がある。この3日間の移動の最中もその日のキャンプ地に着くとドライバー達はビールを飲んでいたが、アシスタントは絶対飲まないし、殆どお金も使わない。

セオドーと一緒に駐車場を出ようとすると、入り口で警備の軍隊に止められた。荷物チェックだと言われたが、何故か端で待つように言われ、他の人の荷物チェックをし始めた。もう真っ暗だし、早く宿にいきたいので、さっさとチェックしてくれと頼むが、「ダメだ。待ってろ」と言われる。セオドーも一緒に待ってくれているので悪いと思い、先にいってくれと言うが、夜に一人で歩くのは危ないと一緒に待ってくれた。

他の人が全て居なくなると、軍人はこっちに来て、15,000CFA3,000円)を請求してきた。辺りは真っ暗で、もうセオドーと二人しかいない。これが彼らの手なのだろう。なんとか下手にでて、ビザもあるし、荷物も問題ないからお金は払う必要がないと説得して、通してもらえた。まったく厄介なところだ。

宿に着くとオーナーらしきオヤジは「いったい何をしに来たんだ?ゴールドかダイヤモンドを探しに来たのか?」と真剣な顔で聞いてきた。「いや、純粋に観光です」と答えると「あんたがこの宿で最初の観光客だ」と大笑いした。

この宿はカメルーン人専用と言っても過言ではないくらい、カメルーン人しかいなかった。殆どは一緒にやって来たドライバー達だ。ベッドだけしかない部屋はきれいではないが13500CFA700円)と安かった。宿のオヤジが終止「もっといい宿に泊まればいいのに」と言って勧めてきた。これ程自らのホテルにプライドのないオーナーも珍しい。

セオドーと夕飯を食べ、ビールを飲んでいるときに同じくドライバーのセオドーの兄がやってきて、チャドの国境へ向かうトラックがあるか聞いてきたと言った。セオドー兄は「UNは北の町へも物資の輸送の護衛をしてはいるが、チャド国境までは行ってない」と話した。UNの護衛隊の行く最後の町から国境まではまだ150kmくらいあり、そこはまだゲリラが活動している政府が完全には制圧できてないエリアらしい。


この宿にはトラックのドライバーがたくさんいるが、誰も北へ向かうトラックを知らなかった。今日バンギの町へ入ってから見かけたUNのトラックに先導されたトラック2台を見たセオドーは北からのトラックだと言っていた。確かにやって来た方角は、カメルーンからではないが、北からという確証はない。ここまでの道中で聞いた限りでは、皆難しいと答えた。道が悪いという人もいれば、北へ向かうトラックはないとか、北部は危険だとか理由は違かったが、誰一人としてチャドへ行けると答えた人はいなかった。やはりこのルートは難しいのかもしれない。













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