2017/FEB/8 「総攻撃」

アビジャンの3泊目の夜に南京虫は総攻撃に転じた。昨日もそんなに寝れてないのに、今夜は朝の四時までベッドに上がってくる南京虫を退治した。電気を消すとさらに出てきそうで、消すに消せない。うっすらと意識があるまま、気がつくと朝7時を過ぎていた。今日はヤムスクロへ移動だ。そろそろ荷物を纏めなければならない。

外へ出て、通りの角に出る屋台でサンドイッチを食っていると、偶然そこにいたナイジェリア人がヤムスクロ行きのバスのオフィスまで案内してくれた。

宿から遠くない場所にあり、助かったと思ったが、そこから出発すると、バスはアビジャン北部のアジャメのバスターミナルに着き、おろされた。どうやらさっきのバスはここまでの送迎用らしい。聞くとヤムスクロ行きのバスは10時半には出るというので30分後だ。
ところが、このバスはバスターミナルを出たり、入ったり不穏な動きを繰り返し、出発したのは11時半過ぎで、さらに車でごった返しているアジャメを出て、ガソリンスタンドで止まり、ようやく幹線道路に出たときには12時半だった。最初のバスに乗ってから既に2時間半。因みにアビジャンからヤムスクロはたかだか200kmちょっとだ。南アなら2時間で到着しているだろう。

ヤムスクロに着いたのは午後の3時半。既に5時間半が経っていた。

コートジボワールで思ったことは、最初、アビジャンの遠景にビックリはしたが、発展を遂げた独立直後から、内戦を経て、経済が停滞し、アビジャンの高層ビル群は古くボロボロ、インフラも後退して、今ではこんな非効率な移動を強いられるようになってしまったというところだ。仮にコートジボワールが内戦をせずに、経済成長を続けていたら今とはかなり違った姿になっていたに違いない。後者を見てみたかった。

ヤムスクロに着いたときには寝不足と空腹で吐き気さえしていた。バスがアビジャン市内で動かなかったときは暑さで顎から汗がポタポタとズボンに絶えず落ちていたことを考えれば軽い脱水症状だったのかも知れない。とにかく、先ず近くのレストランで飯を食い、水分を補給して、最初に見つけたホテルにチェックインした。

宿は相変わらず、連れ込み宿のようで、少し後に入ってきたカップルは一時間のみの利用で1000CFA(200)だけ払っていた。一時間のみで利用出来るところがスゴい。シャワー付でトイレ共同の部屋で14000CFA(800)だったが、相変わらず網戸も蚊帳もなく不安になるつくりだ。コートジボワールの安宿は蚊対策が全くなされてない。マラリアはないのだろうか?

宿の近くにはスーパーがあり、なかなか便利だった。水を買い、シャワーを浴びて休むことにした。もう今日は観光は無理だ。アビジャンの寝不足をここで回復してから、マリに向かわなければ、ここからの長距離移動に耐えられないだろう。今日は夜にビールを飲みに行くだけで安斉にしていよう。


平屋の鋼板屋根の客室は夜になっても全く室内の温度が落ちず、外で寝たほうが遥かにましだった。




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